【選抜高校野球】20年ぶり甲子園の柳ヶ浦高校 鈴木聡監督が選手視察で重きを置くポイントとは (2ページ目)
主将としてチームを牽引する田原光太郎 photo by Takagi Yuこの記事に関連する写真を見る
【敗戦から学び、20年ぶりの甲子園へ】
15年近くチームに携わる瀬戸学部長は「礼儀であったり寮生活であったりを鈴木監督が変えてくれました」と証言する。
「以前は下級生の仕事というものがあったのですが、学年関係なく全員でやろうとなりました。あとは"できないことはできるまでやらせる"。環境整備、校歌をしっかり歌う、全力疾走、カバーリング......誰でもできることはしっかりやりなさいという教えです」
いきなり皆がそれをできたわけではないが、鈴木監督ら指導陣が言い続けることで徐々に選手たちにも浸透してきたという。
選手たちにとっては耳の痛い話が多いが、主将の田原光太郎は「常に自分たちのことを思って指導してくれる熱い方」と鈴木監督を信頼。「その気持ちが伝わってくるので、監督を信じてやってきた。それが甲子園につながったと思います」と、まっすぐな瞳で答えた。
秋の九州大会ベンチ入り20人に身長が180センチを超える選手はひとりもおらず160センチ台や170センチ台前半の選手が中心だ。甲子園出場校の選手の大型化が進んでいる中では珍しい。
鈴木監督は「もちろん大型チームは理想ですよ」と前置きしながらも、中学生を視察する際に最も重きを置くのは「本気で野球が好きかどうか」という点。今の新3年生から鈴木監督が生徒募集をするようになったが、最初に目についたのが主将の田原で、プレーよりも「あのセンター、声出ていていいなあ」ということが何よりの第一印象だったと笑う。
そして、そんなひたむきな選手たちは、秋季九州大会予選前の2大会(私学大会、県選手権支部予選)で初戦敗退を喫しながらも、「できることをきっちりやろう」と足元を見つめ直して九州大会で4強まで躍進。20年ぶりの甲子園切符を掴んだ。
数年前は「高校野球の監督になるとは思っていませんでした」と話す鈴木監督だが、「今となれば大切な時間だったなと思います」と振り返る紆余曲折を経て、野球小僧の選手たちと初めての甲子園の土を踏む。
著者プロフィール
高木 遊 (たかぎ・ゆう)
1988年生まれ、東京都出身。大学卒業後にライター活動を開始し、学童・中学・高校・大学・社会人・女子から世代別の侍ジャパン、侍ジャパントップチームまでプロアマ問わず幅広く野球を中心に取材。書籍『東農大オホーツク流プロ野球選手の育て方〜氷点下20℃の北の最果てから16人がNPBへ〜』(樋越勉著・日本文芸社)『レミたんのポジティブ思考"逃げられない"な"楽しめ"ばいい!』(土井レミイ杏利著・日本文芸社)『野球で人生は変えられる〜明秀日立・金沢成奉監督の指導論(金沢成奉著・日本文芸社)では、編集・構成を担当している。
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