横浜清陵、21世紀枠で春夏通じて初の甲子園へ! 指揮官は東海大相模の選手として全国制覇→国立大に進学→家庭科教師の異色経歴
1月24日に第97回選抜高校野球大会(センバツ)の出場校が発表され、横浜清陵(神奈川)が21世紀枠に選出され、春夏通じて初の甲子園出場を果たした。
選出された理由について、高野連関係者は次のように語る。
「自治を大切にしている。選手間でリーダーを定め、それぞれ意見を出し合ってチームづくりを進めている。強豪校がしのぎを削る大都市でも戦える"ロールモデル"になれるのではないかとして評価された」
3月に開催されるセンバツ大会に21世紀枠で出場する横浜清陵の選手たち photo by Ohtomo Yoshiyukiこの記事に関連する写真を見る
【指揮官は高校時代に全国制覇を経験】
横浜清陵は、1974年に清水ケ丘高校として開校。2004年に大岡高と統合し、横浜清陵総合となり、2017年に現校名となった。
昨年秋の神奈川大会では、公立校で唯一ベスト8に進出。準々決勝で東海大相模に完封負けを喫したが、堂々の戦いぶりを見せた。
グラウンドはサッカーなど他部と共用で、活動時間も制約があるなか、創意工夫した練習をしながら、女子マネージャーを含む25人の部員が一丸となって結果を出した。右腕の内藤大維(2年)、左腕の西田豪(1年)が粘り強い投球を見せ、攻撃陣は少ないチャンスをものにする。超高校級の選手は皆無で、どこにでもいるような普通の野球部員たちだ。
あえて特徴的な点を挙げるとすれば、背番号はポジション番号でつけるのではなく、五十音順に名前で割り振っていることぐらいだろうか。
そんなチームを指導してきたのが、野原慎太郎監督だ。高校時代は全国屈指の強豪校である東海大相模の選手として、2000年春のセンバツに背番号10でベンチ入り。チームは全国制覇を果たした。
野原監督は甲子園で出場機会こそなかったが、ベンチから門馬敬治監督(現・創志学園監督)の采配を間近で見て、指導者を志すようになったという。高校卒業後は横浜国立大、大学院を経て家庭科の教諭になった異色の経歴を持つ。
2007年から県立校の教員に就き、岸根高校、大師高校を経て、20年から横浜清陵に赴任。大師では二度ベスト16入りを果たすなど指導者としての経験を積み、横浜清陵では21年夏に自身初のベスト8入り。そして昨年秋、チームを再びベスト8へと導き、初めて甲子園の切符をつかんだ。その手腕は関係者の間でも高く評価されている。
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