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京都国際・中崎琉生が振り返った栄光の夏 「春に気づくことの大切さを学んで、成長することができた」 (3ページ目)

  • 沢井史●文 text by Sawai Fumi

 中崎自身が"周りが見られていなかった"と言うように、それが普段の姿勢にもモロに出ていた。だが、センバツでの試合を通して猛省し、周りを見渡すことを心がけるようになった。

 夏の甲子園では準決勝の青森山田戦で先発するも、4回2失点で降板。5回からマウンドに立った西村が2安打無失点と好投しチームはリベンジを果たしたのだが、決勝進出を喜ぶチームのなかでひとりだけ目を潤ませて肩を落としていた。

「自分が不甲斐ないピッチングをして、チームに迷惑をかけてしまった。申し訳なくて......」

 エースとしてのプライドもあったのだろう。心を鬼にして挑んだ決勝戦では、3回まで無安打に抑える"完全投球"を披露し、4回以降も許した安打はわずか3本。延長タイブレークの10回に入ってからマウンドは西村に譲ったが、気迫溢れるピッチングでチームの新たな歴史を刻む立役者となった。

「気力があったからあそこまで投げられたというのはあるのですが」

【超えなければならない先輩】

 夏の甲子園のマウンドで、中崎はあることを唱えながら投げていたという。

「『このボールで締めよう』とか『ここはこれで抑えよう』とか、ブツブツ言って自分に言い聞かせながら投げていたんです。口に出して言えば、何か変われるのかもしれないと思って......。実際に抑えられたので、言ってみるもんだなと思いました」

 京都国際が勝ち進むたび、韓国語の校歌などグラウンド外のことが話題になった。それでも「応援してくれる人に感謝の気持ちを表したかった。だから、しんどいとも言っていられなかったというのもありました」と、中崎は振り返った。

 京都国際に入学した春、チームのエースとして君臨していたのが森下瑠大(DeNA)だった。

 中崎が「身近で尊敬できる先輩。こんな左ピッチャーがいるんだと驚きました」と、今でもリスペクトは止まない。その森下が2年生だった21年の夏の甲子園はベスト4だった。チームの成績としては森下を超えたが、個人としては「森下さんを超えたとは思っていない」と本人は言う。

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