「あの時、志望届を提出していれば...」 大阪桐蔭で全国制覇を果たした天才打者はなぜプロに進まなかったのか? (4ページ目)
現在はJFEスチール株式会社 東日本製鉄所でサラリーマンとして働いている峯本匠氏 photo by Uchida Katsuharuこの記事に関連する写真を見る「あの時、志望届を出していれば、プロには行けたんじゃないかとは思っています。ただ、藤浪さんや森さんという即戦力のドラ1を間近で見て、プロはこういう人たちが行くものだと思っていて、高卒でプロはまったく考えになかったです。3年夏に活躍したというのも、遅かったですよね」
同僚の香月はロッテから5位指名を受け、プロ入りの夢を叶えていた。自身も4年後に続くため、進学の道を選んだ。が、気持ちがついてこない。
「半分燃え尽き症候群みたいな感じになって......」
16歳の春とは環境も心境も変わり、野球から距離を置くことさえ考えていた。
著者プロフィール
内田勝治 (うちだ・かつはる)
1979年9月10日、福岡県生まれ。東筑高校で96年夏の甲子園出場。立教大学では00年秋の東京六大学野球リーグ打撃ランク3位。スポーツニッポン新聞社でプロ野球担当記者(横浜、西武など)や整理記者を務めたのち独立。株式会社ウィンヒットを設立し、執筆業やスポーツウェブサイト運営、スポーツビジネス全般を行なう
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