「あの時、志望届を提出していれば...」 大阪桐蔭で全国制覇を果たした天才打者はなぜプロに進まなかったのか? (3ページ目)

  • 内田勝治●文 text by Uchida Katsuharu

【履正社に屈辱のコールド負け】

 夏が終わると、いよいよ自分たちの代となった。5季連続甲子園に向け、下級生から試合に出ていた香月一也(オリックス)らとチームを引っ張る責任感が芽生えていた。しかし、蓋を開けてみれば、秋の府大会4回戦で、ライバルの履正社に1対13で5回コールド負け。野球人生で初めて経験する、屈辱的な大敗だった。

「高校野球がこれで終わるとういう危機感がありました。本当に長い冬でしたね」

 冬場はスピードアップをテーマに掲げ、持ち味の俊足に磨きをかけた。足腰の強化は、打撃面に好影響を及ぼす。練習では得意の外角球を引っ張り込み、打球は右翼フェンスを軽々と越えるようになった。スイングスピードも速くなり、持ち味の広角打法はさらに洗練されていった。

「試合の時は、内角はファウルにしていました。調子が悪いと、絶対一塁ゴロになっていたので、そこで自分の調子がわかりました。基本はアウトコースも全部引っ張りにいっているイメージ。右中間に引っ張りにいったのが、左中間へいくという感覚です」

 半年間の猛練習は嘘をつかなかった。3年春の府大会決勝で履正社を8対5で下し近畿王者へ駆け上がると、夏の府大会も準決勝で再戦し、6対2で返り討ち。決勝でもPL学園を9対1と寄せ付けず、2季ぶりの甲子園出場を決めた。

 夏の甲子園、準決勝の敦賀気比(福井)戦では大逆転劇を演出。初回に5点を先制されるも、2回に平沼翔太(西武)から中堅左へ同点2ランを叩き込んだ。全5打席で出塁するなど、3打数3安打3打点5得点。15対9の壮絶な乱打戦で聖地を縦横無尽に駆け回った。

 終わってみれば、全6試合で22打数11安打、打率.500で2年ぶり全国制覇に大きく貢献し、U−18日本代表にも選出された。もちろん、プロからも注目される選手となったが、東京六大学リーグの立教大から誘いがあったため、志望届は提出せず、早々に進学を決断していた。プロ入りに心は傾かなかったのか。

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