森友哉は天性の打撃を発揮し、4度の甲子園で打率.473、5本塁打 自身が印象に残る一打として挙げたのは? (4ページ目)
そして迎えた明徳義塾(高知)戦。森は2本のヒットを放ったが、先制した初回、自らの判断で試みた三盗に失敗。攻撃の流れを止めてしまうと、2回の守りでは捕手である自身からの三塁牽制が悪送球となり同点。さらに追加点を奪われ3回終了時点で1対5。その後も流れを呼び戻せず、3回戦で姿を消した。
その試合後の囲み取材で、生粋の野球小僧がかすかな笑みともに口にしたひと言が、今も耳に残っている。
「しばらく野球はいいかなって感じです」
春夏連覇のあとのチームを、主将として、主軸として、女房役として牽引。前チームと比較されることもあっただろう。そうした重圧から解放され、出てきた言葉だった。悔しさと充実感をにじませ、森の高校野球生活は終わった。
森友哉(もり・ともや)/1995年8月8日、大阪府出身。大阪桐蔭では1年秋から正捕手を務め、2年時はエース・藤浪晋太郎らとともに甲子園春夏連覇を達成。3年時も主将として春夏続けて甲子園に出場。13年のドラフトで西武から1位指名を受け入団。1年目の7月に一軍昇格を果たすと、3試合連続本塁打を放つなど、41試合に出場し打率.275、6本塁打と結果を残した。19年は126試合でマスクを被り、首位打者、MVPを獲得。22年シーズン終了後にFA宣言をして、オリックスに移籍。23年は勝負強さを発揮し、リーグ3連覇に貢献した
著者プロフィール
谷上史朗 (たにがみ・しろう)
1969年生まれ、大阪府出身。高校時代を長崎で過ごした元球児。イベント会社勤務を経て30歳でライターに。『野球太郎』『ホームラン』(以上、廣済堂出版)などに寄稿。著書に『マー君と7つの白球物語』(ぱる出版)、『一徹 智辯和歌山 高嶋仁甲子園最多勝監督の葛藤と決断』(インプレス)。共著に『異能の球人』(日刊スポーツ出版社)ほか多数。
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