森友哉は天性の打撃を発揮し、4度の甲子園で打率.473、5本塁打 自身が印象に残る一打として挙げたのは?
仕事として高校野球を見てきて25年。これまで目にしてきた高校生のなかで、「最もすばらしい打者は?」と聞かれたら、迷わず大阪桐蔭の森友哉を挙げる。
高校野球ファンとして見ていたその前の25年あまりを加えても、PL学園の清原和博(元西武ほか)、星稜の松井秀喜(元巨人ほか)など、名だたる強打者はいたが、ボールを捉える精度に長打力を含めた総合力は、PL学園の福留孝介(元中日ほか)と双璧。そのランクの高校球児だったと確信している。
大阪桐蔭時代4度の甲子園に出場し、打率.473、5本塁打の成績を残した森友哉 photo by Okazawa Katsuroこの記事に関連する写真を見る
【甲子園通算55打数26安打、5本塁打】
高校3年夏の時点で、公表されていたサイズは身長170センチ、体重80キロ。上背はなかったが、身のつまった体を無駄なく使い、ヘッドの効いたフルスイング。とにかく、いつ見ても打っている印象しかない。
1年秋から捕手として、1学年上の藤浪晋太郎(メッツ)、澤田圭佑(ロッテ)らとバッテリーを組み、打っては1番打者として2012年の春夏連覇に貢献した。主将となった3年時も春夏連続して甲子園出場。4季連続の甲子園となったが、どの大会でも打っていた。
各大会での打撃成績を見るだけでも、桁違いのすごさが伝わってくる。
2年春/センバツ大会/18打数8安打(打率.444)、2打点、1本塁打、3四死球
2年夏/選手権大会/20打数8安打(打率.400)、2打点、2本塁打、5四球
3年春/センバツ大会/5打数4安打(打率.800)、3打点、0本塁打、0四死球
3年夏/選手権大会/12打数6安打(打率.500)、4打点、2本塁打、2四死球
甲子園通算15試合で55打数26安打(打率.473)、11打点、5本塁打、10四死球。印象的な一打も多くあったが、3年夏を終えたあと、森自身が「甲子園のこの1本」として挙げたのが、2年春のセンバツ準決勝の健大高崎(群馬)戦での一発だった
スコアは1対1、同点に追いつかれた直後の8回裏。先頭で打席に入った森は、好左腕・三木敬太の初球、外角ストレートを左中間スタンドへ突き刺した決勝アーチだ。理由を尋ねると、「いいところで打てたのはもちろんですけど、あの打席は違う意味でよく覚えているんです」と明かした。
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著者プロフィール
谷上史朗 (たにがみ・しろう)
1969年生まれ、大阪府出身。高校時代を長崎で過ごした元球児。イベント会社勤務を経て30歳でライターに。『野球太郎』『ホームラン』(以上、廣済堂出版)などに寄稿。著書に『マー君と7つの白球物語』(ぱる出版)、『一徹 智辯和歌山 高嶋仁甲子園最多勝監督の葛藤と決断』(インプレス)。共著に『異能の球人』(日刊スポーツ出版社)ほか多数。