野球部存続の危機→4年で北海道大会出場 スカウト活動なしの別海高校はなぜ強豪校の仲間入り、甲子園出場を果たせたのか (2ページ目)

  • 田口元義●文 text by Taguchi Genki

 地元の高校にいる「熱い監督」に引き寄せられたのは寺沢だけではない。別海中央中のチームメイトも、「行くなら別海だよな」と示し合わせたように進学を決める。彼らが誘ったなかには、小学時代から知る野付中のキャッチャー・中道航太郎と計根別学園でピッチャーをしていた影山航大もいた。

 中道が「地区のうまい奴らが集まるから、みんなで頑張ろうと思った」と話せば、中標津から町を越えて別海の門を叩くこととなる影山も、昂揚感と覚悟が芽生えたと頷く。

「地元の高校から誘われなかったこともあるんですけど、自分はレベルの高いチームで野球をしたいって気持ちがずっとありました」

【外部スタッフとの共同作業】

 島影が打ち出す「甲子園」とは、熱量の表れだけではなく根拠も備わっている。

 信頼できる外部スタッフの存在だ。

 別海には、おもにバッティングを担当する小沢永俊、ピッチング担当の渡辺靖徳。内野守備やバッティング、体のケアと幅広く担当する大友孝仁、北見市で治療院を経営する佐々木護は選手のコンディショニングを担う。皆、島影が武修館高校にいた頃からのつき合いだ。

 高校時代の教え子でもある大友が、外部スタッフと島影との関係性をこう話す。

「監督は基本的に『思うようにやってください』というスタンスなんです。僕は教え子という立場ではあるんですけど、スタッフみんなを信頼してくれていますよね」

 島影とは「指導する」以上に「指揮する」監督でもあるのだ。いわば、プロデューサーという一面を印象づかせる。

 人を動かすことについて、島影はこのような持論を持っている。

「監督のなかには『全部をひとりで指導したい』という方もいるでしょうけど、自分にはそんな能力がないので。専門知識に長けた方たちと協力しあって、任せるところは任せる。その過程でそれぞれの担当としっかり話して、最終的に自分が一本化させる。それでチームを同じ方向に導ければいいと思っています」

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