野球部存続の危機→4年で北海道大会出場 スカウト活動なしの別海高校はなぜ強豪校の仲間入り、甲子園出場を果たせたのか

  • 田口元義●文 text by Taguchi Genki

別海高校〜甲子園初出場までの軌跡(2)

 別海の監督に就任するや、マネージャーを含めた5人の部員を前に「3年で全道大会に出場する」と豪語した島影隆啓は、2019年秋にチームを全道──つまり、北海道大会出場へと導いた。島影が監督となったのは16年春で厳密には4年目でのことだったが、丸4年経たずしての同大会出場は有言実行と呼ぶにふさわしい快挙と言えた。

中学時代は内野手兼三番手投手だった堺暖貴は別海高校入学後にエースに成長した photo by Taguchi Genki中学時代は内野手兼三番手投手だった堺暖貴は別海高校入学後にエースに成長した photo by Taguchi Genkiこの記事に関連する写真を見る

【有望な中学生が続々と入学】

 野球部の存続すら危ぶまれる状況下から、短期間で全道の舞台に立った──おそらくは、「地域の有望な選手を獲得したのだろう」という、ありきたりな憶測にたどり着く。

 だが、島影はこれまで一度もスカウト活動を行なったことがない。理由は明白だ。

「僕は指導が厳しい監督だと思っています。ですから、『この選手がいいから』という理由だけでスカウトをして入ってもらっても、辞められてしまうのがつらいんです。その代わり、うちの練習会に来てくれた子には『まだ行く高校を決めてなかったら、うちに来ない?』と誘うことはありますけどね」

 島影はスカウト活動こそしないが、別海野球部の"広報活動"は精力的に行なっている。

 ひとつに学校行脚がある。地域の中学校を回り、野球部の顧問をはじめとする教員たちに「うちの野球部は練習が厳しいですし、学校生活もしっかりしなければ叱ることもあります。それでも、興味を持ってくださるのなら面倒を見させてください」と頭を下げる。

 もうひとつが、地元の小学生を対象とした野球教室である。ここでも島影は、臆することなく「別海高校は甲子園を目指して頑張っています」と宣言している。

 島影の草の根活動によって、少しずつ地元で名の知れた中学生が別海を選ぶようになっていく。22年に別海中央中学から入学した堺暖貴(はるき)、千田涼太、寺沢佑翔(ゆうと)、金澤悠庵(ゆあん)、橋本流星もそうだった。5人は中学時代に全国大会を経験する、有望な新入部員だった。

 小学生時代に別海の野球教室に参加したことのある寺沢が、当時の様子を振り返る。

「『甲子園に行く』みたいなことを言っていたと思います。チームの先輩たちから監督の話を聞くうちに、『すごく熱い人なんだな』って思うようになりました」

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