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藤浪晋太郎が信頼を寄せる大阪桐蔭の元チームメイトの波瀾万丈 「センバツで4番、夏はスタンド」 (4ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tamigami Shiro

光星学院との決勝で3安打を放ち、優勝に貢献した小池裕也氏 photo by Sankei Visual光星学院との決勝で3安打を放ち、優勝に貢献した小池裕也氏 photo by Sankei Visualこの記事に関連する写真を見る 7回に大谷翔平から一発を放っていた田端が、9回の最終打席で右手首にこの日2つ目の死球を受け骨折。これにより、2回戦から小池が4番として出場することになったのだ。

 ただ2回戦からの準決勝までの3試合で、小池は10打数1安打。準々決勝の浦和学院(埼玉)戦では1点を追う9回に一死から値千金の四球を選び、そこからチームは大逆転。大阪桐蔭史上初となるセンバツベスト4進出を決める仕事をやってのけたが、バットは湿ったまま。

 それが決勝の光星学院(現・八戸学院光星/青森)戦では、1回に先制の2ランを放つと、あわやサイクルヒットの3安打。"打のヒーロー"としてスポットライトを浴びた。

「大会中は毎晩、西谷(浩一)先生に宿舎地下の駐車場でスイングを見てもらった成果が出ました」

 ただ、その時が小池の野球人生でのピークだった。その後、チームは夏に大阪桐蔭史上初の春夏連覇を達成するのだが、歓喜の輪のなかに小池の姿はなかった。夏の甲子園ではベンチから外れ、試合中はアルプススタンド最上段で長さ5メートルを超える校旗を持ち続けていたのだ。

「センバツの決勝で4番を打ってホームラン。それが夏にスタンドで旗持ちをしているなんて、100年を超える高校野球の歴史のなかでも僕ひとりでしょう(笑)」

 センバツのあと、いったい小池に何があったのか......。

「ケツの青い高校生が勘違いしたんですよ。よくある話です。アホでした」

 たとえば、学校で禁止されている踝(くるぶし)までの靴下を履いて登校し、こちらも禁止されているiPodが見つかり、担任でもあった西谷から一喝されたことがあった。ひとつ一つを聞けば些細なことと思えたが、総じてこの調子だったのだろう。

「なぜ?」と聞くと、小池は少し考え「目標がなくなってしまったのはありました」と言った。

「中学まではプロ野球選手になるのが夢でした。それが高校に来て、プロは限られた人が行く場所だとわかって、そこから目標は甲子園のみ。毎日、西谷先生に提出する野球ノートの最初のページに3年間の目標を書くんですけど、そこに『甲子園で優勝するために大阪桐蔭に来ました』と書いたんです。それがセンバツで優勝して、決勝戦でホームランまで打てた。『もうこれ以上はない』と思ったら、ここから夏に向けてもう一回しんどい練習をやるぞって気持ちが......そこはしんどいことから逃げてしまう、自分の甘さでもあったんですけど」

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