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藤浪晋太郎が信頼を寄せる大阪桐蔭の元チームメイトの波瀾万丈 「センバツで4番、夏はスタンド」 (2ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tamigami Shiro

「僕もポール間を走らされたんですけど、タイム設定は藤浪が36秒で、僕が38秒。メジャーリーガーとふだんはとくに運動をやっていない会社員が2秒違いっておかしいでしょう。で、『オレに何を求めてるんや??』って言ってもお構いなし。おかげで全身筋肉痛です。だから藤浪から『○日空いてる?』って電話がかかってくると、一気に憂鬱な気分になるんです。でも誘いがきたら、行ってあげたいなって気持ちになるんです。彼女との予定があったとしてもです(笑)」

 鳴尾浜のブルペンではキャッチャー防具をフル装備し、藤浪の剛球に神経を集中させて受けた。映像を見ながら「まとまっていた?」と聞くと、「安定の荒れ球です」と笑顔で返してきた。互いを深く知るからこその"いじり合戦"。高校時代に濃密な2年半を過ごした空気感が、小さな画面の中からでも伝わってきた。

【センバツ出場の原動力に】

 そんな小池だが、ふと思うことがあるという。「いつから藤浪との距離がこれほど近くなっていったのか」と。

 小池は中学時代、大阪のボーイズリーグの名門「八尾フレンド」でプレー。体格もよく、中軸を担った。チームは桑田真澄や平石洋介の出身チームとしても知られており、PL学園へ進む先輩たちを見て、小池のなかにもひとつの選択肢としてあった。だが小池は、大阪桐蔭へ進むことを決めた。

 当時の大阪桐蔭は、2008年に浅村栄斗(楽天)らを擁し、1991年夏以来2度目の全国制覇を果たすも、まだ確固たる地位を築けていなかった。小池が回想する。

「今みたいに全国から優れた選手が集まってくるわけでもなかったし、1年夏は大阪大会3回戦で桜宮に負け、秋も近畿大会初戦で加古川北に敗退。2年夏も大阪大会決勝で東大阪大柏原にサヨナラ負け。甲子園に届きそうで届かない、そんな時期だったと思います」

 とはいえ、チーム内の競争は今と変わらず激しかった。1年時は先輩たちについていくのがやっと。2年になると、野手では同学年の水本弦が夏からレギュラーとなり、田端良基がベンチ入り。その次に続くのは誰か......という状況だった。

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