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藤浪晋太郎が信頼を寄せる大阪桐蔭の元チームメイトの波瀾万丈 「センバツで4番、夏はスタンド」 (5ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tamigami Shiro

 その結果、練習から外され、草むしりの日々が始まった。春の近畿大会のメンバーから外れると、メディアは「細かな故障があってメンバーから外れた」「激しいメンバー争いのなかで調子が上がらず」といった感じで、小池不在を報じた。だが、本当の理由は別にあった。

【チームメイトに突きつけられた「ノー」】

 6月、夏の大阪大会のベンチ入りメンバーを決める際、西谷は主将の水本、副主将の白水健太と澤田の3人に、それぞれベンチ入りメンバー20人を書かせた。すると、どのリストにも小池の名前がない。西谷は3人を別々に呼び、「小池はええんか?」と確認した。これに3人とも「小池はいいです」ときっぱり。「ホンマにええんか?」と念押ししても、「いいです」と即答だった。

 たしかに、センバツ以降はいろいろとあった。しかし能力を考えれば、勝つために必要と考えるだろうと、西谷はどこかで思っていた。ところが3人の答えは、まったく逆だった。

 たとえば、澤田は当時の心境をこう振り返る。

「センバツ以降、小池はチンタラしていましたから。夏を勝つために必要じゃないと。そこはみんなシビアに『小池? いらんっす』って感じでした」

 同時に、3人とも揃ってこう付け加えた。

「悪いヤツではなかったんです」

 ふだんは楽しく会話をし、寮に戻ればふざけあったりもした。それでも"切った"。この厳しさこそが、大阪桐蔭の強さなのだと確信した。小池は西谷の判断で大阪大会こそ背番号20でベンチ入りするも、登録が18人となる甲子園ではメンバー外となった。

「あの時は、親に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。でも、今の僕でも外していると思います」

 そう語った小池だが、メンバー発表後もすぐに気持ちは切り替わらず、精彩を欠く動きについに西谷の雷が落ちた。

「レギュラーでもやってきたおまえがそんな態度でどうするんや!」

 それからは裏方として率先して動き、練習中はバッティング投手を務め、試合中はアルプススタンドで校旗を持った。そしてチームは史上7校目、大阪桐蔭としては初めての春夏連覇を達成した。

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