甲子園を沸かせた秀岳館・川端健斗が空白の2年を経て社会人野球で再スタート「まだプロは全然あきらめきれていない」
鮮やかなブルーのユニホームが、かつての勇姿を思い出させる。熊本・秀岳館高で2016年センバツから4季連続甲子園に出場した川端健斗は今、栃木にいる。1月10日、社会人野球チームのエイジェック硬式野球部に合流。チームの雰囲気にも「だいぶ慣れてきました」と柔和な笑顔を見せる。
「長い間、こうやって団体で練習するということから離れていたので、久しぶりにチームで練習することに楽しさがあります。体の張りとかも多少ありますけど、それもすべて新鮮ですね」
地元の京都で練習を積んできたが、久しぶりにユニホームを身にまとって体を動かすと、心地よい疲労感が全身を包む。忘れかけていた感覚。ボールを持つ左腕にも自然と力が入る。
「振り返ってみると短い感じもするんですけど、よくよく思い出してみたら結構長かったですね」
偽らざる本音だろう。短いようで長かった「空白の2年」を経て、ようやく次のステージへと進むことができた。
今季から社会人野球のエイジェックでプレーする川端健斗 写真提供/エイジェック野球部この記事に関連する写真を見る
【高校時代は4度の甲子園出場】
秀岳館では2年春・夏、そして3年春と3季連続で甲子園ベスト4入り。3年夏の甲子園は2回戦で敗退したが、通算11試合に登板し、48回2/3を投げ57奪三振とイニング数を大きく上回る奪三振数をマークした。
大会後に同じ左腕でダブルエースを形成していた田浦文丸(現ソフトバンク)とともにU−18日本代表に選出され、カナダで行なわれたU−18ワールドカップに出場。先発した米国戦で15三振を奪い、世界に衝撃を与えた。
「高校に関しては、僕のなかではできすぎで、いい思い出しか残ってないくらいに充実した3年間だったと思います」
ノーワインドアップからグラブをはめる右腕を高々と上げ、真上から投げ下ろす独特のフォームから繰り出す最速148キロの直球と、大きく縦に割れるカーブはまさに圧巻。プロのスカウトも色めき立ったが、東京六大学リーグの立教大へ進学し、4年後のプロ入りを見据えた。
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著者プロフィール
内田勝治 (うちだ・かつはる)
1979年9月10日、福岡県生まれ。東筑高校で96年夏の甲子園出場。立教大学では00年秋の東京六大学野球リーグ打撃ランク3位。スポーツニッポン新聞社でプロ野球担当記者(横浜、西武など)や整理記者を務めたのち独立。株式会社ウィンヒットを設立し、執筆業やスポーツウェブサイト運営、スポーツビジネス全般を行なう