高校野球の名将だが「生徒から抗議文」「チームは崩壊状態に」 蔦文也の孫・哲一朗が「じいちゃんの負の部分」を追いかけた理由
「池田高校・蔦文也の正体」後編(全2回)
孫・蔦哲一朗(映画監督)インタビュー
2022年に創立100周年を迎えた徳島県の池田高校。そして2023年は、高校野球で池田の名を全国に広めた名将・蔦文也氏の生誕100年に当たる。それにちなみ、2015年に発表されたドキュメンタリー映画『蔦監督ー高校野球を変えた男の真実ー』が、今年9月10日に地元の三好市で再上映される予定だ。
制作したのは、蔦文也・元監督の孫にあたる映画監督の蔦哲一朗氏(39歳)。物心ついた時にはすでに蔦監督は闘病生活を送っており、その人柄に触れる機会はほとんどなかった。だからこそ、映画をつくることで祖父の本当の姿を知りたかったのだという。
その作品は、蔦監督の功績をたどる華やかなものとは一線を画し、むしろ光でなく陰の部分を色濃く描き出している。「孫だから描けた」という作品をとおし、蔦監督という人物像についてあらためて語ってもらった。
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【じいちゃんがどういう人間だったのかを知りたい】
蔦哲一朗 阿波池田駅から徒歩数分。当時マスコミが大挙して訪れたじいちゃんの家には今、叔母がひとりで住んでいます。私の実家はそこからすぐのところにあり、私が生まれたのは池田が夏春夏の3連覇を逃した翌年の1984年です。
この頃はまさに池田の全盛期。そのせいか孫の私がじいちゃんと触れ合った記憶はほとんどなく、野球をやれと言われたこともなければキャッチボールの思い出もない。やがて私はサッカーを始めるのですが、それについても何も言われなかった。
小学生になってじいちゃんはすごい人なんだと認識しつつも、どちらかというと冷めた人間なので自分からじいちゃんのもとへ行くことはなく、祖父と孫との関係なんてこんなものだと思っていました。
私が高校2年生の時、じいちゃんが77歳で他界。闘病生活は7〜8年に及び、この頃はあれだけ好きだった野球なのにテレビでもまったく見ない。メンタルがかなりやられていて、弱弱しかったと親父が言っていました。
ドキュメンタリー映画をつくろうと思ったのは、純粋にじいちゃんがどういう人間だったのかを知りたいと思ったから。成功した人間でも必ず負の部分を持っているもので、伝え聞いている姿とはまた違う一面があるはずだと。
映画界にいる自分にとって、人をすごい、すごいで終わらすことにむしろ抵抗があり、人を描くからには内面や裏側もきっちりと描きたい。作品は、それを当たり前のように扱ったものになりました。
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著者プロフィール
藤井利香 (ふじい・りか)
フリーライター。東京都出身。ラグビー専門誌の編集部を経て、独立。高校野球、プロ野球、バレーボールなどスポーツ関連の取材をする一方で、芸能人から一般人までさまざまな分野で生きる人々を多数取材。著書に指導者にスポットを当てた『監督と甲子園』シリーズ、『幻のバイブル』『小山台野球班の記録』(いずれも日刊スポーツ出版社)など。帝京高野球部名誉監督の前田三夫氏の著書『鬼軍曹の歩いた道』(ごま書房新書)では、編集・構成を担当している。