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高校野球の名将だが「生徒から抗議文」「チームは崩壊状態に」 蔦文也の孫・哲一朗が「じいちゃんの負の部分」を追いかけた理由 (5ページ目)

  • 藤井利香●取材・文 text by Fujii Rika

【映画で描いた蔦監督の負の部分】

 他にも監督初期に一緒にチームを見ていた人をはじめ、各年代で仲たがいしている人がいましたね。そこはまさにじいちゃんの負の部分。でも私自身はそれを、新鮮な思いで受け止めています。

 つまり、じいちゃんには負の部分は気にしないという一面があり、そこを気にする人とはつき合っていないのです。何かしでかせばすぐに指摘され、攻撃されやすいのが現代ですが、そんなことはまったく眼中にない。やはり、人間の器としてはでかかったのかなと思います。

 でも突き詰めると、仲たがいした人も含めてみんなじいちゃんが好きなんです。じいちゃんへの思いが強すぎるがゆえに、純粋な気持ちを裏切られたと思っている。この映画を見に来てくれた人のなかには指導してもらえなかった晩年の生徒もいて、よくぞ描いてくれたという感想と同時に、どこかじいちゃんに対する未練のような思いが感じとれ、それがとても印象に残っています。

 映画には、親父も登場します。じいちゃんは野球ばかりで子どもはほったらかしだったにもかかわらず、部員が少ないからと池田に入学した親父を無理やり野球部へ。でも何かにつけて見せしめのように殴られることが多く、本人はそれでもよかったようですが、あまりにかわいそうだと周りの人がやめさせたというエピソードが残っています。

 親父は基本的に野球が好きだったので、大学で再び野球部に入り主将も務めています。映像では、いわゆる親父を意識しすぎて互いにライバル視するような、そんな関係だったと述懐しています。

 そして、映画にもっとも多く登場するのがばあちゃんです。亡くなる前の4〜5年を追っていて、ばあちゃんが語るじいちゃん像とか、認知症になりボケていく過程でその像がだんだんブレていく感じとかが淡々と入っています。

 ばあちゃんは、じいちゃんのそばで間違いなく一番苦労した人。じいちゃんのことを考え続けて生きてきて、朝ドラの主人公みたいな存在。ばあちゃんの話のほうがむしろドラマになりますね。

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