高校野球の名将だが「生徒から抗議文」「チームは崩壊状態に」 蔦文也の孫・哲一朗が「じいちゃんの負の部分」を追いかけた理由 (6ページ目)

  • 藤井利香●取材・文 text by Fujii Rika

【蔦文也の孫という自信】

 そう考えると、じいちゃんは決して特別な生き方をしたわけではない。でも人間力があり、人を惹きつけるだけの華がある。ファインダーを通して見ても、間違いなく撮る人でなく、撮られる人。わかりやすく言えば勝新太郎さんみたいにオーラがあって、それはやはりいい部分だけではない、ちょい悪の部分があるからというのが大きいんじゃないかと思います。

 映画を見てじいちゃん像が崩れ、マイナスイメージを持った人がいたとしても、そういう面を見てこそ人として親近感を得られるのではないかと思う。表面的にいい部分しか持たない人なんていない。じいちゃんが好きで、その姿を残したくて映画をつくったわけではないので、シンプルに蔦文也という人間を描けたことに満足しています。

 ただ、私が今、映画界にいることを考えた時、じいちゃんの存在がまた深く関わっていることに気づきました。無意識な感覚で、自分は何者かになれるみたいな根拠のない自信が根底にあるんです。そこにじいちゃんは、だいぶ影響していると思う。蔦文也の孫というだけなのですが、じいちゃんの存在そのものが、今を生きる自分の見えない力になっているような気がしています。

 この映画は、無料上映会として過去に東京などでも開催の場を設けています。機会をもらえたら各地で行ないたいところですが、生誕100年ということで、近々上映するのが9月10日の三好市での上映会です。酒の町ですので、お酒を飲みながら夜市みたいな感じで皆さんに見ていただけたらと計画中です。

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写真/蔦 哲一朗、スポルティーバ


【プロフィール】
蔦 哲一朗 つた・てついちろう 
1984年、徳島県生まれ。祖父は高校野球で一世風靡した池田高校の元監督・蔦文也。東京工芸大学で映画を学び、大学卒業後、2009年に製作した『夢の島』で「第31回ぴあフィルムフェスティバル」観客賞受賞。2013年の『祖谷物語−おくのひと−』ではトロムソ国際映画祭で日本人初となるグランプリを受賞。2015年には、蔦文也の人物像を描いたドキュメンタリー映画『蔦監督ー高校野球を変えた男の真実ー』を製作。
最新作は、脚本・監督を務めた『黒の牛』(2023年秋以降公開予定)。台湾、アメリカとの合作で、禅宗の教えを10枚の絵で表現した「十牛図」をもとに、山間部に暮らすひとりの男と1頭の牛とが言語を超えて肉体同士で語り合い、「無」に至る姿をモノクロ映像で描く。主演にリー・カンション(台湾)、他に田中泯らが出演。音楽は坂本龍一。

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蔦 文也 つた・ふみや 
2023年夏の甲子園に出場した徳島商出身。自身も甲子園を経験。同志社大時代には野球を続けるも学徒出陣で日本海軍の特攻隊員となり、終戦後はわずか1年間、プロ野球選手として東急フライヤーズの投手としてプレー。その後、池田高校の社会科教諭として赴任し、野球部を指導。監督20年目の1971年に夏の甲子園初出場。1974年に、センバツ準優勝。1979年夏も準優勝し、1982年夏に念願の初優勝。1983年春も優勝し夏春連覇。同年夏は、準決勝敗退。甲子園に通算14回出場。1988年夏の甲子園は、岡田康志コーチが監督代行で指揮し、監督40年目の1992年に勇退。2001年4月28日、肺がんのため死去。

プロフィール

  • 藤井利香

    藤井利香 (ふじい・りか)

    フリーライター。東京都出身。ラグビー専門誌の編集部を経て、独立。高校野球、プロ野球、バレーボールなどスポーツ関連の取材をする一方で、芸能人から一般人までさまざまな分野で生きる人々を多数取材。著書に指導者にスポットを当てた『監督と甲子園』シリーズ、『幻のバイブル』『小山台野球班の記録』(いずれも日刊スポーツ出版社)など。帝京高野球部名誉監督の前田三夫氏の著書『鬼軍曹の歩いた道』(ごま書房新書)では、編集・構成を担当している。

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