北海・平川敦監督が「甲子園の戦いは別物」と語るワケ 「怖い」舞台で積極采配に変更

  • 元永知宏●文 text by Motonaga Tomohiro
  • photo by Ohtomo Yoshiyuki

 全国最多、40回の夏の甲子園出場を誇る北海(南北海道)。2016年にはエースの大西健斗を擁して準優勝、日本一まであと一歩のところまで勝ち上がった強豪だ。

 2020年にコロナ禍における野球部活動について平川敦(おさむ)監督にインタビューをしたのだが、その時に筆者が驚いたことがある。それは平川監督が「甲子園と聞いて思い出すのは怖さですね。とくに、夏にはいい思い出はありません」と言ったからだ。

2016年夏の甲子園ではチームを準優勝に導いた北海・平川敦監督2016年夏の甲子園ではチームを準優勝に導いた北海・平川敦監督この記事に関連する写真を見る

【2時間46分の熱戦に勝利】

 1971年生まれの平川監督は北海で投手として活躍し、1989年夏の甲子園に出場している。大学時代には母校のコーチを務め、卒業後に3年間の百貨店勤務を経て、1998年春に26歳で名門の監督に就任した。1999年夏に甲子園出場を果たすも、1回戦で敗退。その後、再び甲子園の舞台に戻ってくるまで9年の歳月を費やした。

「僕は準優勝した2016年以外、全部負けてますから。1試合で18点もとられたこともありますし(2015年、鹿児島実業に4対18で敗退)。苦労して甲子園に行っても、打ちのめされることが多かった。もちろん、勝てればいいところなんですが、負けたら......怖いところです」

 2021年は春のセンバツに出場し、神戸国際大付(兵庫)に敗れた。夏の甲子園でも再び対戦し、またしても苦汁をなめた。

 何度、地方大会を勝ち上がっても、平川監督にとって甲子園は「怖いところ」のままだ。

 この夏の南北海道大会では、エースナンバーをつけた岡田彗斗(けいと)、4番を打つ熊谷陽輝(はるき)、サウスポーの長内陽大の3投手を使い分け、チーム打率.392の強力打線が甲子園への出場権を手繰り寄せた。とくに南北海道大会で、打率.762、5本塁打を放った主砲の熊谷のパワフルな打撃は圧巻だ。

 大会5日目の第2試合、明豊(大分)との一戦。3回表に1点を先制され、4回裏に2点をとって逆転するも、すぐに2点を許してしまう。6回に同点に追いついたが、7回表に4点を奪われてしまう。

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