「異色の経歴を持つ元高校生独立リーガー」BC茨城の渡辺明貴は、湯浅京己、宮森智志に続く掘り出し物となるか? (2ページ目)

  • 中島大輔●文 text by Nakajima Daisuke
  • 写真提供/茨城アストロプラネッツ

 山梨県出身の渡辺は地元の笛吹ボーイズを経て静岡県の高校に進んだが、野球部に馴染めず3カ月で退部する。高校を中退して地元の通信制高校に編入、山梨球友クラブで野球を続けた。

「それまでは縛られた野球しかやっていなかったので、クラブに入ってから野球がすごく楽しいなって思えました」

 そうして17歳でBCリーグの滋賀ユナイテッドベースボールクラブ(現・滋賀GOブラックス)へ。同リーグ初の高校生独立リーガーと注目され、「好素材」としてドラフト候補にも挙げられた。

転機はワールドトライアウト

 しかし指名には至らず、滋賀球団から同じBCリーグの新潟アルビレックスに練習生として在籍し、2019年には韓国の独立リーグでプレーした。日本にいると色眼鏡で見られ、外国人として一度フラットな環境に身を置きたかったと、渡辺は言う。

 転機となったのは、2019年オフに受験したワールドトライアウトだった。NPBに限らず、外国も含めて"プロ野球"に挑戦する機会を創出しようという狙いが込められた企画を通じ、大きな出会いがあった。

 早稲田大学を経て社会人のENEOSに進み、前述のオンラインサロン『NEOREBASE』を立ち上げた内田聖人が参加していたのだ。さらに、茨城球団にやって来る前の色川GMから『アジアンブリーズ』という米国で活動するトラベリングチームを紹介され、参戦に至った。

 人の運命とは、じつに数奇だ。渡辺は内田のジムでトレーニングをさせてもらうようになり、小山田を紹介された。2020年オフに色川GMが茨城球団に招聘され、渡辺はドラフトで特別合格した。同じタイミングで茨城にやって来ることになったのが、小山田だった。

 茨城1年目の渡辺は、波の多い投手だった。ストレートが151キロを計測することもあれば、138キロまで落ちる球もある。「151キロが出ちゃったという印象で、体がついてこない感じでした」と小山田は振り返った。

 素材はいいが、選手としてまだまだ途上──それが当時の渡辺だった。

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