2022.07.08

大島高校「奇跡のチーム」はいかに誕生したか。島外の強豪校志望のエースは仲間の言葉に悩みが消えた

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • photo by Ohtomo Yoshiyuki

【短期連載】離島から甲子園出場を叶えた大島高校のキセキ 第5回(最終回)

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きっかけは「離島甲子園」

 奄美大島の野球熱は高い。島内には40近い草野球チームが存在し、社会人になってから野球を始める者もいるという。

 その熱は子どもへと受け継がれる。当然、学童野球や中学野球の熱も高いのだが、有望な選手は島外の高校へ進学する流れがあった。

 1990年代に阪神で活躍した亀山努は小学6年から中学3年まで奄美大島で過ごし、高校は鹿屋市の鹿屋中央へ。上野弘文(元広島)は奄美大島で生まれ育ち、高校から鹿児島市の樟南へと進んだ。近年では泰勝利(楽天)が奄美大島から神村学園へ進み、プロ入りして話題になった。東海大相模の注目右腕・求航太郎は、中学から島を出ている。

 そして今から3年前、奄美大島の中学球界で有名だった大野稼頭央、西田心太朗のふたりは、県内きっての名門・鹿児島実業から勧誘を受けていた。

 大野は奄美大島東部の龍郷町で生まれ育ち、龍南中では左腕エースとして活躍。キレのある速球と多彩な変化球を武器にする実戦的な投手だった。一方の西田は島の中心部である奄美市で育ち、金久中では主砲で正捕手。恵まれた体格を誇る、強肩強打の捕手である。西田は小学生時から大野と対戦するたびに「いずれは稼頭央とバッテリーを組みたい」と思いを募らせていた。

「ふたりで鹿実に行って、バッテリーを組んで甲子園を目指すのもいいなと考えていました」

 一方の大野は幼少期から鹿児島実に憧れを抱いていた。中学を卒業したら島を出て、鹿児島実で野球に打ち込もうと考えていた。

 だが、中学3年の夏にふたりの運命は変わる。きっかけは「離島甲子園」だった。

 離島甲子園とは、正式名称を全国離島交流中学生野球大会という。全国の離島でプレーする中学球児が一堂に会し、交流しながらトーナメント戦を戦う大会だ。村田兆治氏(元ロッテ)が提唱した大会で、この年は長崎県対馬市で開催された。

 西田は奄美市選抜、大野は龍郷選抜のメンバーとして離島甲子園に出場している。西田は試合に勝ち進むたびに、喜びをひしひしと感じていた。