大島高校野球部に欠かせない3人の島外出身選手。なぜ彼らは奄美大島へとやって来たのか?

  • 菊地高弘●文・写真 text & photo by Kikuchi Takahiro

【短期連載】離島から甲子園出場を叶えた大島高校のキセキ 第4回

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野球留学生は皆無

 奄美大島から九州大会準優勝と結果を残して甲子園出場を果たし、「離島の奇跡」と言われた大島高校。島内で生まれ育った選手中心に構成されているが、なかには島外から「大高(だいこう)に行きたい」と寮生活を送る選手もいる。3年生18選手(女子マネージャー3名を除く)のうち、3選手は島外出身者である。

 センバツには9番・ライトで出場し、控え投手も務める直江朝日は徳之島の伊仙町出身。徳之島は奄美大島の南西にあり、奄美群島内では大島に次ぐ面積の島である。

 直江は同期生わずか3人という伊仙中野球部でプレー。大会には伊仙町内の中学校と連合チームで出場していた。

「親と姉が大高出身なので、もともと大高に行きたかったんです」

 直江はそう語るが、野球に関する情報はまったくなかった。奄美大島の有名人である大野稼頭央、西田心太朗のバッテリーの存在すら知らず、入学後も「うまいヤツがいるな」と呑気に感じていた。

 人見知りの性格のため溶け込むのに時間はかかったが、1年夏の遠征で時間をともにするようになり、大野らと仲良くなった。

「奄美はいい人ばかりなので、自分には合ってる気がします。大学を出たら、将来は奄美で働きたいです。仕事は何でもいいので」

 控え一塁手の嶺塁守(みね・るいす)は喜界島の出身。喜界島は奄美大島の東に位置し、人口7000人に満たない島である。喜界高校OBには高橋英樹(元広島)というプロ野球選手もいた。

 嶺は「寮生活して自立したほうがいい」という親の勧めを受け、喜界高校には進まず大島高校に進んだ。

「喜界島と比べると奄美は都会です。人も店も車も多いし、便利で。喜界島は人が少ないから、すぐ顔見知りと会いますけど、奄美は観光客も多いし知らない人も多いですね」

 身長180センチ、体重92キロの立派な体躯を誇る嶺だが、もともと野球への自信はなく「高校で野球を続けるつもりはなかった」という。当初はラグビー部の体験練習に顔を出した。

 だが、その様子を見たクラスメイトの大野から声をかけられた。

「野球部に来いよ!」

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