「キャッチボールは必要?」。ドラフト候補が考えたいきなり全力投球の調整法 (3ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • photo by Sankei Visual

 ウォーキングから約1時間30分の時間をかけて体の状態と動作を検査し、ようやく1球目から100パーセントのキャッチボールが始まる。大学2年時には、すでにこの調整法が定着していた。春のシーズンで6勝0敗をマークした伊藤は、大学選手権に出場する。まさにその時、私は伊藤のあまりの変貌ぶりに驚かされたわけだ。

 大学選手権では日本文理大から10三振を奪って完投。24時間と空けずに連投した慶應義塾大戦では打ち込まれたが、主砲の郡司裕也(現・中日)は完璧に封じ込んだ。のちに大学日本代表候補合宿に招集された伊藤は、郡司から「明らかに俺のときだけボールが違っただろ」と声をかけられたという。

 伊藤は言う。

「名の知れた大学、名の知れたバッターには打たれたくないんです」

 2年生にして大学日本代表入りを果たした伊藤は、名実ともに大学屈指の存在になったのだった。

 小学校から大学まで、専門的な投手コーチから指導を受けることなく、独学で自分の技術を磨いてきた。ドラフト上位候補になるまでの原動力は、日の目を見なかった小学生時から養われた負けん気だった。

「小学校、中学校と同じチームにはエースの渡辺幹理(かいり/北海高→中央大)がいて、僕はいつも2番手でした。小学6年の時に渡辺と一緒に12球団ジュニアトーナメントのファイターズジュニアのセレクションを受けたんですけど、渡辺は合格して僕は不合格。いつも渡辺に負けっぱなしで、泣きながら帰って練習したのを覚えています」

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