高校野球の強豪校OBで
プロ野球チームを組んでみた! PL学園編

  • text by Sportiva
  • 岡沢克郎●写真 photo by Okazawa Katsuro

◆OBでプロ野球チームをつくる:大阪桐蔭編 横浜編

 野球ファンなら誰でも一度は考えたことのある、「あの高校のOBだけでプロ野球チームをつくったら......」。ラストは、甲子園で数々の名勝負を演じ、全国制覇7回を誇るPL学園編――。

 昨年の夏を最後に惜しくも休部となったPL学園野球部。しかし、その輝かしい歴史は色あせることはない。

 1961年の初出場から50年あまりで37回の甲子園出場を果たし、歴代3位となる通算96勝 (30敗)。その間、中村順司氏が監督を務めた76年から98年は58勝10敗、勝率.853という驚異的な記録を残した。さらに、桑田真澄、清原和博のKKコンビ在籍時は、甲子園5季連続出場を果たし、優勝2回、準優勝2回という、高校野球史に残る強さを見せつけた。

 PLの強さを支えていたのが、OBたちが「二度と戻りたくない」と口を揃える厳しい寮生活。下級生が上級生の雑用をこなす"付き人制度"で強靭(きょうじん)な精神力が磨かれ、「逆転のPL」の礎(いしずえ)となった。

 PL野球部の凄さを物語るのがプロに入ってからの実績だ。タイトルホルダーはもちろんのこと、名球会選手が7人もいるのはPLだけである。

 松坂大輔を擁する横浜OBも手強いし、大阪桐蔭OBの勢いも目を見張るものがある。しかし、"勝てる選手としての存在感"という意味では、PLには及ばない。球界にこれほどの影響力を与えたPLは、まさに「永遠の学園」である。


【ピッチャー】
抜群の制球力とマウンド度胸は、まさに"神"の領域
桑田真澄(元巨人ほか)

 タテに大きく割れるカーブと抜群の制球力を武器に、1年夏からPLのエースとして5季連続甲子園出場を果たし、2度の全国制覇を達成。卒業後、早大進学を表明するもドラフトでは巨人が単独指名し入団。「密約だ」とバッシングを受けるが、結果で周囲の声を封じてきた。87年には15勝をマークし、沢村賞を獲得した。

1年夏からPL学園のエースとして活躍していた桑田真澄1年夏からPL学園のエースとして活躍していた桑田真澄

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