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尾崎世界観「人生とプロ野球が重なり合う瞬間がある」。大ファンのヤクルトがピンチを無失点で抑えたら「別れた彼女に連絡してみよう」 (2ページ目)

  • 白鳥純一●文 text by Shiratori Junichi
  • 山口直也●撮影 photo by Yamaguchi Naoya

――尾崎さんならではの楽しみ方をされているのですね。

「そうですね。あとは、『もし試合がこうなったら、自分の生活でこうしてみようかな』と、勝手に自分の人生に重ねてみたり。確か2011年だったと思うんですけど、甲子園で行なわれていた阪神戦で、ヤクルトが大量失点しているのをアルバイト先のテレビで見ていて。2アウト1、3塁で、阪神の投手に打席が回ってきたんです。相手は投手でしたが、試合の流れを見ると打たれそうな雰囲気もあった。

 その時に、ふと『もし、ここを無失点に抑えたら、別れた彼女に連絡してみよう』と思い立って。そのまま試合を見守っていると、その当時一番応援していた田中浩康選手のファインプレーで相手の攻撃が終わったんです......それで本当に別れた彼女に連絡をして、後日、野球観戦に行って復縁したこともありました(笑)。そういう、自分の人生とプロ野球が重なり合う瞬間がたまにある。そのあたりも面白いんですよね」

――2012年には、尾崎さんの所属するクリープハイプがメジャーデビューを果たしますが、その前年の東京ヤクルトは中日に逆転優勝を許す形になりました。

「東日本大震災があった2011年は、コロナ禍で行なわれた2020年シーズンのように『野球なんかやっている場合なのか』というどんよりした雰囲気の中で試合が行なわれていました。なので、どこか地に足がついていない状態でチームの戦いぶりを見守っていましたね。

 自分としても、『社会がこんなに大変な中で、音楽をやっていていいのか』という思いがありました。音楽を通して思いを伝えるミュージシャンが多くいるなか、自分は何もできていない。音楽で救う側でも、救ってもらう側でもない、中途半端な存在だった自分に悔しさを感じることも多かったので、野球に没頭できるような感じではなかったですね。

 そんな年で印象に残っているのは、10月にナゴヤドームで行なわれた中日戦で4連敗して優勝を逃したこと。翌年のクライマックスシリーズ第3戦(ナゴヤ•1−4)でも、トニー・バーネット投手が、中日のトニ・ブランコ選手に逆転満塁本塁打を打たれてしまいました......。この頃の中日戦は、けっこう苦い思い出があります」

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