号泣からの再起。萩野公介が東京五輪に向けて必要だった苦悩の8日間 (2ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by Fujita Takao

「この大会へ向けては200m個人メドレーの練習しか積んでいなかったし、200mだけに集中して臨みました。400mは日本選手権と5月のジャパンオープン、7月のフランスオープンで泳ぎましたが、なかなか難しいなと感じていましたね。400mはレースを重ねていくうちに体も慣れてきて、『どのくらい泳げるかな』となる種目なので......」

 平井伯昌コーチも「五輪が終わってからは、いいレースができていないし、4月の日本選手権からも記録を上げられていないので、400mは厳しいというのが最初からの見通しでした。だから200mをメインにして、そこでの金メダルを狙った」という。

 その言葉どおり、競泳4日目に行なわれた200m個人メドレーの予選と準決勝を見る限り、その可能性は極めて高いと思われた。少し抑えた柔らかな泳ぎには、軽さだけではなくキレもあって動きもよかった。しかし、27日の決勝になると、その泳ぎは一変して硬さが出る。バタフライも背泳ぎも準決勝より遅く、平泳ぎでカリシュに先頭を奪われると、1分56秒01で2位に終わった。

 2015年の夏に右肘を骨折して、3カ月間のブランクがあったのに続き、昨年のリオ五輪後は、その肘の手術で再び3カ月間のブランクを経験した。1度ならず2度目となったブランクの影響は大きく、萩野の今シーズンのスタートは大きく出遅れた。そのうえ6月には自由形の不調が重なり、悩みは膨らんだ。

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