「トラックの女王」福士加代子は初マラソンでゴール直前に何度も転倒「完全になめてましたね。ボロボロでした」 (2ページ目)
【マラソンでオリンピック出場を目指すも2度続けて失敗】
スタートから30km過ぎまでは快走し、「さすが福士」とファンや関係者をうならせた。だが、35km付近でスローダウンすると、みるみるうちにスピードが落ち、ジョグ状態になった。そして、ゴールの長居陸上競技場を目前に転倒。すぐに起き上がって走り続けたが、競技場へ入ってからも3度転倒。スタンドから悲鳴が起こるなか、2時間40分54秒でゴールした。初マラソンは、かくもほろ苦いレースになった。
「もうクタクタボロボロでした(苦笑)。レースが終わった時は『よくがんばったね』という声が多かったんですけど、翌日には今までの私のトラックの記録がなかったかのように、『あいつはダメだ』って叩かれたんです。
しかも、私だけではなく、コーチやチーム全体もダメだって否定されて。そんなに悪いことをしたわけじゃないのに全否定されて、もうめちゃくちゃ腹が立ちました。このままじゃ終われん。ちゃんと練習をしてマラソンに出てやると思いました」
それでもレース後、北京五輪のマラソン代表の道が閉ざされると、マラソンの練習は休止し、本職のトラックでの五輪切符獲得を目指した。マラソンのダメージはあったものの、もともとトラックの練習をメインに行なっていたこともあり、移行は比較的スムーズだった。
そして、無事に2大会連続でのオリンピック出場を決めたが、本大会では5000mは予選落ち、10000mは11位に終わった。この結果から今後、トラックか、マラソンか、どちらで勝負するのか、あらためて真剣に考え始めた。
福士がマラソンのレースに戻ってきたのは、2011年10月9日のシカゴマラソンだった。デビュー戦の大阪国際女子から3年9カ月ぶりのレースになった。
「時間が空いたのは、初マラソンの経験で『もう、ちょっといいや』って思ったのと、北京五輪からロンドン五輪まで4年間あるので、オリンピックの代表選考レースの近くになってからやろうと思ったからです。しかも、シカゴは海外なので、日本で走る時のように(メディアや世間に)あれこれ言われることもないのでいいんじゃない?って思って走ったら、(その時の)自己ベスト(2時間24分38秒)が出たんです」
自信を取り戻した福士は、翌2012年1月29日、ロンドン五輪の選考レースになった大阪国際女子マラソンに出場した。だが、20km過ぎまで優勝した重友梨佐(天満屋)とトップを競り合うが、26kmで落ち始めた。結局、8位に終わり、マラソン代表の座を射止めることができなかった。
「この時は、練習はできていたんですけど、ご飯を食べなかったんです。最後の調整でエネルギーを摂らないといけないのに、体が重いのがちょっと嫌だなと感じて、食べる量を落としてしまった。仕上げのところでの詰めが甘く、スタミナ切れというオチになりました。練習ができてもそういうことが起こるので、だからマラソンってムカつくんですよ(苦笑)」
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