「トラックの女王」福士加代子は初マラソンでゴール直前に何度も転倒「完全になめてましたね。ボロボロでした」 (3ページ目)
【手ごたえをつかんだ世界陸上での銅メダル】
前回の北京五輪同様、ロンドン五輪もトラックでの出場に目標を切り替え、日本選手権の10000mで標準記録を突破し(2位)、5000mも2位となり、3大会連続での五輪出場を決めた。本大会では10000mは10位、5000mは予選突破できずに終わった。
「北京五輪の時にスピード不足を感じて、トラックはもう無理かもしれないと思ったんですが、ここでダメ押しでしたね。もうトラックでは世界で戦えない。覚悟を決めてマラソンをやらないといけないと思って練習に取り組んだんですけど、やらされている感が満載で納得できないし、『いいね』って言われても、何がいいのかさっぱりわからなかったんです。
しかも、与えられた練習メニューを消化できない。30km走はまだできるんですけど、40km走はきつすぎて。あと、5kmを6本とかやるんですけど、やれる人は8本とか9本やるんですよ。ダメージをくらうし、練習時間が長くて、『いつ終わるんだよ、これ』って、いつも思っていました。
マラソンはこういう練習を3カ月も積み重ねていくので、私には向いていない。しかも、ただ練習するだけじゃなく、栄養も(計算して)摂らないといけないんで、マラソンはほんと面倒くさかったですね」
過去の練習データは監督が記録しているが、ほとんど見なかった。基本的に100%できた練習が少ないので、見ていると腹が立つからだ。マラソンの練習に正解を見出せない福士は、野口みずき(シスメックス)や渋井陽子、小﨑まり(ノーリツ)らに「何をすればいい?」と聞いてまわった。
野口は「2、3時間のロングジョグがいいよ」と教えてくれたが、「ジョグでそんなに走るのか」と抵抗感を覚えた。小﨑には「ゆっくりジョグがいいよ」と言われ、始めてみたが、最初はゆっくり走ることができなかった。
「マラソンの練習については、最後までこれだというのがわからなかったですね。マラソン自体、楽しむというのもなかったです。楽しみはレース会場に行って知り合いに会うことぐらい。(自身3度目のマラソンとなった)2013年の大阪国際女子も、私ひとりじゃなくて、渋井さんや小﨑さんが出るのですごく楽しみにしていたし、ふたりには給水で助けてもらいました。
この時、2位(のちに繰り上げ優勝)になるんですが、みんなに助けてもらわないとマラソンというモンスターには勝てなかったです」
その2013年の大阪国際女子マラソンには、これまでの失速の経験を生かして臨んだ。レース3日前から白米をお茶碗2杯と、さらにパスタも餅も食べた。緊張があったせいか、あまり味を感じなくなり、お腹も空かないので、食事を詰めこむのが一番しんどかった。
「それなりに練習をして、栄養も摂り、いろいろやった感があったので、ちょっとはいけるかもと思っていました。でも、35kmぐらいからペースが落ちてきて、最後の最後(残り900m)で(1位でゴールしたウクライナの)ガメラ(タチアナ・ガメラシュミルコ)さんに抜かれてしまって。『なんだ、この人! あぁ、神様なんていねーよな』って思いましたね」
それでも福士は総合2位、日本人トップ、自己記録を17秒上回る2時間24分21秒でフィニッシュした。そして、同年8月の世界陸上モスクワ大会にマラソンで出場すると、積極的な走りで銅メダルを獲得し、世界と戦える自信がついた。同時にオリンピックにマラソンで出場するという意欲が一段と高まった。
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