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「トラックの女王」福士加代子は初マラソンでゴール直前に何度も転倒「完全になめてましたね。ボロボロでした」 (4ページ目)

  • 佐藤俊●取材・文 text by Sato Shun

【「やっと獲ったよ、1等賞。リオ決定だべ」】

 その後も地道にマラソン練習を続け、迎えた2016年1月、リオデジャネイロ五輪の選考レースのひとつである大阪国際女子マラソンに出場。「私もヒロインになりたい」と優勝への意欲を語り、臨んだレースは中盤から独走態勢になり、派遣設定記録(2時間2230秒)を突破する2時間2217秒で優勝した。

「この時は、練習はできていたけど、最後のほうは『もう、こんなんやめてやる』と何回も監督に言っていました。タイムは2時間22分を目指していたわけではなく、20分を切りたいと思っていたんです。でも、それは最後まで見えなかったですね。30kmとか35km過ぎに落ちるレースしかしたことがなかったので、そういうところも払拭したいと思って、ずっと走り込みとかしていました。それが報われての優勝はうれしかったです」

 レース後、「やっと獲ったよ、1等賞。リオ決定だべ」と喜びを爆発させた。このシーンは、テレビのニュースで多く取り上げられた。福士は、よく方言を使っていたが、それが自らの言葉を際立たせ、多くの人に受け入れられ、メディアの見出しにもなった。それは意図的に行なっていたことだったのだろうか。

「まぁ、素でしたけど、短い時間のなかでしゃべるのが得意でしたし、その場の空気を読んで一瞬で言葉を変えられるんです。大阪国際女子マラソンで『これで決まりだべ』と言った時も、普通に言ったらダメだと思ったので直前に変えたんです」

 自分の言葉がより多くの人に伝わるにはどうしたらいいのか。それを考えて発信できるアスリートは、稀有な存在であり、福士はそのひとりだった。

 大阪国際女子マラソンで優勝し、福士のリオ五輪出場は決定的だと誰もが思った。だが、日本陸連はすぐに内定を出さず、選手選考をめぐって紛糾することになる。

(つづく。文中敬称略)

>>>中編「4度目の五輪で初めてマラソンに出場した福士加代子『メダルを獲りたいと有言実行できる人はすごいですよ』」を読む

福士加代子(ふくし・かよこ)/1982年生まれ、青森県出身。五所川原工業高校から、2000年にワコールへ入社。2002年に3000m5000mで日本記録を更新。10000mでも日本選手権を6連覇し、「トラックの女王」と呼ばれた。オリンピックには2004年アテネ、2008年北京、2012年ロンドンとトラック種目で3大会連続出場。マラソンは2008年大阪国際女子マラソンで初挑戦すると、2013年世界陸上モスクワ大会で銅メダルを獲得。2016年リオデジャネイロ五輪にはマラソンで出場し、日本の女子陸上選手で史上初めてとなる五輪4大会連続出場を果たした。2022年に現役引退。現在はワコール女子陸上競技部のアドバイザーを務めるほか、駅伝開催、メディア出演、市民マラソンのゲストなど普及活動にも携わる。マラソン自己ベスト記録は2時間2217秒(2016年大阪国際女子)。

著者プロフィール

  • 佐藤 俊

    佐藤 俊 (さとう・しゅん)

    1963年北海道生まれ。青山学院大学経営学部卒業後、出版社を経て1993年にフリーランスに転向。現在は陸上(駅伝)、サッカー、卓球などさまざまなスポーツや、伝統芸能など幅広い分野を取材し、雑誌、WEB、新聞などに寄稿している。「宮本恒靖 学ぶ人」(文藝春秋)、「箱根0区を駆ける者たち」(幻冬舎)、「箱根奪取」(集英社)など著書多数。近著に「箱根5区」(徳間書店)。

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