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いざ「陸上人生の第3章」へ 箱根駅伝「山の神」神野大地が選手兼監督としてニューイヤー駅伝出場を目指すことを決めたワケ (2ページ目)

  • 佐藤俊●取材・文 text by Sato Shun

【今秋には2年ぶりにレースに復帰予定】

 その後、神野はMGCに集中し、足の故障を抱えつつもパリ五輪代表の座を目指して懸命に走ったが、最下位に終わった。レース後、自身が主宰し、市民ランナーをメンバーとする「RETOランニングクラブ」の仲間や支援者の前で、「申し訳ない」と泣きながら頭を下げ、長い治療とリハビリの期間に入った。

「MGCが終わった後、あらためて自分の陸上人生を振り返ったんです。第1章が(青山学院時代の)箱根駅伝から(実業団に所属していた)コニカミノルタ時代。第2章がプロ活動の時になります。ただ、2回出場したMGCで、五輪出場は自分にとって現実的に難しいことを痛感しました。また、そのギャップと向き合いつつプロとして活動するしんどさも感じました。

 そういうなかで、第3章としてチームで駅伝にチャレンジする機会をもらえたわけで、非常にありがたかったです。何より駅伝が好きですし、自分が走ることで貢献もできる。もう一度、情熱を持って陸上に取り組めると思いました」

 神野は青学大時代、箱根駅伝で輝きを放った選手だ。五輪を目指すには厳しいが、個人としてまだ走れることを考えれば、駅伝に注力し、仲間とともに目標を達成することは、陸上を続けていく上で大きなモチベーションになる。さいわい、怪我から回復しつつあり、今秋には2年ぶりにレースに復帰予定だ。

 ただし、MABPでは選手の前に監督である。不安はなかったのだろうか。

「指導経験がまったくないですからね(苦笑)。でも、引退したら陸上とさようならという人生ではなく、陸上にずっと携わり、指導をしてみたい気持ちもあったので、不安よりもワクワク感のほうが強かったです。今は自分のやれることをやりつつ、モチベーターとして選手を叱咤激励するスタイルでやっていきたいと思っています」

 神野のコーチスタイルは、経験則で指導するコーチタイプではなく、サッカー日本代表の森保一監督のようなマネージャー型に近い。指導経験がないのでスタッフにまかせられるところはまかせ、チームとして結果を目指す編成にしている。

 東京大時代に関東学生連合の一員として箱根駅伝に出場し、一昨年まで実業団のGMOに所属していた近藤秀一をコーチに招聘。各選手の状態把握、練習メニューの立案、駅伝戦略やスカウティングに携わってもらう。また、トレーナーとして、青学大での指導実績でも知られる中野ジェームズ修一と契約した。

 ハード面では、寮はないものの、世田谷区(東京都)に食堂とジム、さらにサウナ、水風呂も備えたクラブハウスを建てた。ソフト、ハード両面で1年目とは思えない、恵まれた環境下でのスタートになっている。

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