【箱根駅伝2026】名将・大志田秀次氏が語る明大駅伝監督を引き受けた背景と『失敗を経験に』の哲学 (3ページ目)
【あと何年あるから今年はこれくらいで、では強くなれない】
大志田監督は、1年ごとに勝負する覚悟で臨むという photo by Murakami Shogo 中大出身の大志田駅伝監督は、現役時代も含めて明大との直接的な関係があったわけではない。ただ、長い指導歴で培った手腕と眼力は、柔和な雰囲気のなかで厳しさも追求する人柄と合わせて、接した多くの人々から信頼を寄せられてきた。
2年前に東国大を去ることが決まった時、「明大競走部のこれから」というテーマのセミナーのゲストスピーカーとして、「今後の明大をどう見ているのかを語ってほしい」と参加を要請されたという。
その時声をかけたひとりが当時の山本佑樹駅伝監督だったが、その関係を問うと「私がHondaの指導者として、スカウトで声をかけてからですかね」と答えが返ってきた。
「山本佑樹元監督もそうですが、城西大の櫛部(静二)監督、早稲田大の花田(勝彦)監督も含め、現役の時に声をかけさせていただいた選手たちが今、箱根駅伝に関わる学校の指導者になっています。東国大の監督の時はライバルですので深い話はできなかったですが、そのセミナーでは私なりに、こうしていったら強くなれるんじゃないかというようなことを話した記憶があります」
大志田駅伝監督は、大きな目標を口にするタイプではない。常に自分たち、選手個々の状況を見極め、極めて現実的な見方で選手と話し合い、目標を定め、そして考えさせる。
同時に全体を俯瞰する視点を持ち合わせている。学生駅伝の現場から離れているときは、箱根駅伝のラジオ放送解説を務め、この2年間も箱根駅伝を見続けてきた。そうした知見、また長年培ってきた人脈もあり、今回駅伝監督を引き受けるときには、明大の歴史を継ぐ必要性も感じていた。
――駅伝監督を引き受けるうえで、重要な要素となった点はありますか。
「私がひとり、いきなり来て、すべてできるわけではありません。チームづくりは現場以外の部分も含めて行なうものですので、長く明大の強化に携わってきた西弘美さん(元監督、現スカウティングマネージャー)に引き続き携わっていただけるのかを確認しました。また、明大OBのコーチを希望したところ、縁あって射場(雄太朗)くん(2016年度明大駅伝主将)に来ていただけることになりました。
射場くんが上武大のコーチ時代、東国大も参加する春先の関東私学六大学対抗の開催でやりとりしていた時に、すごくいい仕事をしていた印象がありました。私が東国大をやめるのと同じタイミングで上武大を離れ、この2年間は亜細亜大のコーチとして指導に携わっていたので、その意味では私と同じタイミングで、いまここに行き着いたことになります」
――「紫紺の襷プロジェクト~Mの輝きを再び~」に関連して、学校側からは具体的にどのような話を伝えられたのですか。
「大きく言えば、学校としても力を入れていくので、箱根駅伝で学校全体を盛り上げつつ、2031年度にもう1回、総合優勝にチャレンジしてほしいということでした。
プロジェクト最大の目標は7年後ですが、私自身は1年単位で仕事を判断していただくように希望を出しました。やっぱり皆さんから寄せられる期待に対して、自分が応えられているのかどうかを1年ごとに判断してもらわないと、チームは強くなっていかない。指導者として、プロとして結果を求められている以上、あと何年あるから今年はこの結果でいいよね、というのではやはり強くなれません」
――周りからは東国大での実績が高く評価されているので、注目されます。
「ただ、東国大でも私ひとりではなく、学校側が本気で箱根駅伝に向けて多大な協力をしていただき、あと押ししてくれたから結果につながったシーズンもありますし、ある程度、土台を作れたと思います。
私が抜けたあと、1回本戦出場を逃しましたが、すぐに本戦に戻り、シード権を取り戻しました。
現在のチームを指導する中村勇太監督代行がよく選手を見て、しっかり育てています。監督が代わったら、そのあとずっとダメになるというのでは、真のチームづくりではないと思っています。その部分は明治でも変わらずに意識して、指導に当たっていきます」
つづく
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