【箱根駅伝2026】名将・大志田秀次氏が語る明大駅伝監督を引き受けた背景と『失敗を経験に』の哲学 (2ページ目)
――まずは明大の駅伝監督を受けるに至った経緯をお願いします。
大志田駅伝監督(以下、同)「昨年の11月上旬に、以前から親交のあった園原健弘・競走部監督から直接電話をいただきました。その時は歴史のある学校ですし、明大OBの指導者の方も(陸上界に)多くいますので、OBの方を中心に新体制を作ったほうがいいのではないかと、お断りをしました。
ただ、もし自分が受けなかったらどうするのかと聞いたら、公募も含めて検討していくといった趣旨のことを伝えられ、明治のような歴史あるチームの指導者を公募で決めるというのもどうかという思いもあったので、1カ月だけ考える時間をいただきました。
――初めてその話を聞いたときは、率直にどう感じましたか。
「前任の山本豪・駅伝監督はまだ1年半くらいの指導期間でしたので、正直、戸惑いはありました。詳しい事情は私にはわかりませんが、大学側が発表したプロジェクトを達成するためには、現場にも変化が必要という判断をしたという認識です」
――箱根駅伝に通じる環境で再び指導することについては、どのように捉えていましたか。
「2年前に東京国際大を去った時に、"またいつか大学で"という気持ちがあったのかと聞かれれば、正直、ありませんでした。東京国際大では求められる結果を出せなかったという判断を下されて去ることになりましたが、プロとして指導者をやっている以上、半年だろうが、1年だろうが、ダメと言われればそれが評価なのです。
一方で私自身はやり残したことがあるという思いを抱えたまま大学駅伝を去ったので、寂しさが残っていたことも事実です。
中大でも東国大でも、私自身は『失敗を経験に』という考え方をチームづくりのベースにおいていましたので、東国大で結果を出せなかったことについてもその理由は自分のなかで理解して、次につなげていく方策を考えていました。その考え方は明大を指導していくうえでも変わりありません。
ただ私自身、(監督職に対して)自ら手を挙げるタイプではないですし、明大から声をかけてきたときも、(話が)来たのか、というくらいの受け止めでした。だから最初は、(自分のことより)明大OBで再建を計ったほうがいいのではとお伝えしたのです」
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