【プレイバック2024】鈴木優花がパリ五輪女子マラソンで得たもの「何のために五輪に出るのか? 最初は答えられなかったんですが......」
多くの声援を受けながらパリ五輪6位入賞を果たした鈴木優花 photo by JMPA
夏のパリ五輪女子マラソンで6位入賞を果たした鈴木優花(第一生命)。史上もっとも過酷と言われたコースに挑み、自分自身の持てる力を出しきってみせたが、オリンピック出場権を獲得してから大会本番までは、人知れぬプレッシャーを感じながら準備を進めてきた。
その過程で学んだこと、そしてオリンピックを経験して、あらためて感じるマラソンの魅力について聞いた。
*本文はグループインタビューの内容も含めて、再構成したものです。
後編:パリ五輪女子マラソン6位・鈴木優花インタビュー
【オリンピックへの過程で得たもの】
――MGCで代表権を獲得してから10カ月の準備期間がありましたが、振り返っていかがですか。
鈴木 思った以上に長く感じました。春先にトラックでタイムが出ない時は落ち込みましたし、MGC1位というプレッシャーももちろんありました。メディアでの取り上げられ方であったり、昔から応援していただいている方からも多く声援をいただきましたが、やはり調子が悪い時には、"代表なのに、何やっているんだろう"と自責の念に駆られた時もありました。ただ、その10カ月が長いか短いかは人それぞれですし、私自身は与えられた期間の中でやるべきことはやりました。
――五輪本番の2カ月前にシンスプリントで走れない時期があったとのことですが、そこで休んだから好走につながったのか、それともケガなしでもっと練習を積んでいれば、もっといけたのか、どちらだと感じていますか。
鈴木 半分半分ですね。私は出された練習以上に追い込んでしまうタイプなので、休んだ分、いい意味で体はリフレッシュできたと感じています。一方で走り込みはベース作りにとって一番の練習なので、ケガがなければもう少し前にいけたかなと思う気持ちもあります。ただ、ケガをした時でも前向きに考えると、バイクトレーニングや水泳で心肺機能を高めたり、全身運動もできたので、今回のタフなコースにはうまく生きてきたんじゃないかと思います。
――オリンピックに出て、プレッシャーを乗り越えて成長したと思える部分は?
鈴木 ここまで自分を追いこんだ期間はなかったです。自分は何のためにオリンピックに出るのか? コーチからも聞かれて、最初は答えられなかったんですけど、周りからの期待に感謝しつつ、結局、それを重荷にしているのは自分なので、それをシンプルに喜びに変えていけばいい、自分のために走ればいいという発想の転換ができるようになりました。
あとケガした時も落ち込むのではなく、これはなるべくしてなっている、と考えらえるようになりました。今目の前に起こっていることは過ぎていくことなので、そこを割りきれるようになったのは成長した部分だと思います。
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著者プロフィール
牧野 豊 (まきの・ゆたか)
1970年、東京・神田生まれ。上智大卒業後、ベースボール・マガジン社に入社。複数の専門誌に携わった後、「Jr.バスケットボール・マガジン」「スイミング・マガジン」「陸上競技マガジン」等5誌の編集長を歴任。NFLスーパーボウル、NBAファイナル、アジア大会、各競技の世界選手権のほか、2012年ロンドン、21年東京と夏季五輪2大会を現地取材。22年9月に退社し、現在はフリーランスのスポーツ専門編集者&ライターとして活動中。