【プレイバック2024】鈴木優花が振り返る「史上最も過酷なコース」パリ五輪女子マラソンと女王ハッサンの存在
過酷なパリ五輪のコースを走りきり6位入賞を果たした鈴木優花 photo by Nike
夏のパリ五輪女子マラソンで6位入賞を果たした鈴木優花(第一生命)。大学時代から長距離ランナーとして力をつけ始め、フルマラソン2度目の出場でパリ五輪代表権を獲得し、オリンピック本番では力を出しきってみせた。
まだまだマラソンランナーとして成長途上の鈴木に、史上もっとも過酷なコースと言われたパリ五輪について、あらためて振り返ってもらった。
*本文はグループインタビューの内容も含めて、再構成したものです。
前編:パリ五輪女子マラソン6位・鈴木優花インタビュー
【タフなコースを走りきって】
――史上もっともタフなコースと言われたパリ五輪では2時間24分02秒の自己ベストで6位入賞を果たしました。あらためて振り返っていかがですか。
鈴木 とても楽しかったです。激しいコースではありましたが、あれだけのことに挑戦する機会もなかなかありませんし、そこに向かっていけたことが楽しいという気持ちになりました。
――全体的にアップダウンが激しく(高低差最大156m)、14km過ぎに最初の上り坂があり、極めつけは傾斜13度以上の上りが1km近く続く28kmすぎの上り坂があり、その直後も長い下り坂が続くようなコースでした。どのようなレースプランを立てていたのですか?
鈴木 最初の上り坂までの平坦なコースでは、有力選手はみな元気なので、おそらくペースの上げ下げが激しくなると予想して、(それに合わせないよう)自分のペースで押していくことを心がけていました。28kmからの坂に備えていきたい部分があったので、そこまでは前に出ず、自分のリズムを崩さないように走りました。その後の長めの下りから平坦なコースになったら、できる限り、細かく、でもゆっくり足を回して体力を温存して、最後は行けるところまで行くというプランでした。
――実際のレースでは20kmをすぎてから、先頭集団から少し離れされましたが、28kmすぎの上り坂のところで再び追いつきました。最もきついと言われていた、あの坂の印象は?
鈴木 壁だな、と(笑)。14km過ぎから始まる上り坂と比較にならないくらい、モノが違う。重力が違うと感じるくらいで、歩いたほうが速いんじゃないかと思うくらい進まなかったです。そこは一番、緊張した部分でもありました。
――そうした坂への対策は、どのように行なってきたのでしょうか。
鈴木 坂全般に対してですが、五輪レースを想定して、オリンピックまでの合宿や練習での距離走のなかに坂のコースを入れて、準備を進めてきました。走り方としては前傾している体に対して、足を前に出すというより、(上体に対して)真下に足がつくよう、反発をもらいながら走るように心がけていました。
――その後31km過ぎから急な下り坂もありましたが(30km通過は8番手)、その時はどのような思いで走っていましたか?
鈴木 メダルを獲りたい気持ちはありました。ただ、周りは経験豊富な選手ばかりで、最後にスピード勝負になったらきついと思っていましたが、とにかく最後までどうにかついていきたいなと思って走っていました。
――35km通過では6人の先頭集団の後方につき、その後しばらくすると5人と差が少し開き、前方にその集団を見ながらの単独走となりました。何を考えて、走っていましたか。
鈴木 体が動かなくなってしんどい部分もありましたが、ここまで集団に食らいついてきた、ここまでこれたんだから、最後は自分のリズムでやりきるぞとやる気に満ちていたと思います。
――レース終盤は、エッフェル塔を視界に入れて走っていたと思いますが、どこかで楽しむ気持ちもあったのですか。
鈴木 そうですね。もともとエッフェル塔はレースのなかでひとつのポイントとして考えていたので、見えてきた時には、あ、(ゴールまで)もうすぐだと思いました。でも実際には3〜4km残っていたので、やはり長くて、きつくて、もがいていました(笑)。ただ、その景色は力になっていたと思います。
――前方に集団が見えているだけに、なかなか差が縮まらないと思いながら走っていましたか?
鈴木 はい。実はその前に、集団から離される瞬間に、焦るなと自重していたのです。そこで(集団に)つくかつかないかで差が出たと感じました。もしそこでついていったら、もっと前でレースができたかなと、今思い返せば思ったりもしますが、自分はその瞬間、勝負の分かれ目を、経験不足もあって見極められなかったと思います。ただ、離されてはいましたけど、(メダル獲得を)最後まであきらめてはいませんでした。
――そういう時って、誰か落ちてこないかなと思ったりするものですか(笑)。
鈴木 ちょっとはよぎりました(笑)。ただ、周りは最後、スパート合戦で勝負に行くんだろうと思っていました。
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著者プロフィール
牧野 豊 (まきの・ゆたか)
1970年、東京・神田生まれ。上智大卒業後、ベースボール・マガジン社に入社。複数の専門誌に携わった後、「Jr.バスケットボール・マガジン」「スイミング・マガジン」「陸上競技マガジン」等5誌の編集長を歴任。NFLスーパーボウル、NBAファイナル、アジア大会、各競技の世界選手権のほか、2012年ロンドン、21年東京と夏季五輪2大会を現地取材。22年9月に退社し、現在はフリーランスのスポーツ専門編集者&ライターとして活動中。