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箱根駅伝優勝を狙う東洋大学・梅崎蓮&石田洸介のラストシーズンへの決意 「石田はやはり頼もしい存在」「梅崎と笑って終われれば」

  • 牧野 豊●取材・構成 text by Makino Yutaka
  • 村上庄吾●写真 photo by Murakami Shogo

今季の東洋大学のカギを握る梅崎(左)と石田 photo by Murakami Shogo今季の東洋大学のカギを握る梅崎(左)と石田 photo by Murakami Shogoこの記事に関連する写真を見る

東洋大学・梅崎蓮&石田洸介インタビュー 後編

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「鉄紺の覚醒」をテーマに箱根駅伝に向かう東洋大学陸上競技部(長距離)。チームの成功の鍵を握るのは、主将の梅崎蓮と中・高校時代に世代トップランナーとして名を馳せた石田洸介の4年生ふたりだ。最終学年の今季は5月の関東インカレではそろって存在感を発揮し、チームとしての強さを感じさせている。

 大学入学後から地道に力をつけてきた梅崎、対照的に苦しんできた元高校記録保持者の石田。その差は2年目以降に顕著になっていくが、いかにして梅崎は成長を遂げ、石田はトップステージに戻ってきたのか。そして学生最後のシーズンにかける思いは?

【2年目も着実に成長した梅崎】

――2年生になると、梅崎選手は関東インカレや駅伝でも主力としての地位を築きました。箱根では9区区間4位の好走でチームを総合11位から9位に引き上げ、シード権獲得(総合10位)に貢献しました。

梅崎 自分の場合、関東インカレのハーフはもともと出場を予定していた選手が故障で出られなくなっての出場でしたが、2位に入れたので、いい経験になりました。そこからもしっかり走り込んで、全日本大学駅伝でも強い選手のいる長い区間を走らせてもらい結果も残せたので(7区区間7位)、個人としてはよかったです。

――石田選手は1年目に比べて、あまりいい成績ではなかったです。三大駅伝に出場を果たしますが、箱根駅伝では2区を走って区間19位。苦しい時期だったと思います。

石田 自分は梅崎とは逆で、どんどん走れなくなっていったシーズンでした。梅崎の関東インカレ・ハーフを見て頑張ろうと思ってはいたのですが、自分が描く走りからどんどん離れていってしまいました。練習では1年目よりも距離的な面ではこなせる時期もあったのですが、結果が伴わなかったですし、ほとんど毎日悩んでいて、納得できない走りばかりでした。練習が(試合で)実になっていなかった。出雲、全日本も1年目より強い選手のいる区間ではあったのですが、最後の箱根でああなってしまって......。何ひとつよかったと思える日のなかった1年でした。

梅崎 (石田は)期待されているぶん、調子が悪い時期が続いている時はつらそうでした。箱根前も体調を崩していたのに、石田にエース区間の2区を走らせるしかないチーム状況だったので、その点は自分のなかでも申し訳なかったと感じていました。自分がまだ自ら2区を走りたいと言えるだけの自信はなく、つなぐ役割を意識していたからです。そういう面では万全でない状態で(石田を)2区で走らせてしまったことに責任を感じました。

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著者プロフィール

  • 牧野 豊

    牧野 豊 (まきの・ゆたか)

    1970年、東京・神田生まれ。上智大卒業後、ベースボール・マガジン社に入社。複数の専門誌に携わった後、「Jr.バスケットボール・マガジン」「スイミング・マガジン」「陸上競技マガジン」等5誌の編集長を歴任。NFLスーパーボウル、NBAファイナル、アジア大会、各競技の世界選手権のほか、2012年ロンドン、21年東京と夏季五輪2大会を現地取材。229月に退社し、現在はフリーランスのスポーツ専門編集者&ライターとして活動中。

「鉄紺」フォトギャラリー 東洋大学 梅崎蓮 & 石田洸介

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