箱根駅伝優勝を狙う東洋大学・梅崎蓮&石田洸介のラストシーズンへの決意 「石田はやはり頼もしい存在」「梅崎と笑って終われれば」 (2ページ目)

  • 牧野 豊●取材・構成 text by Makino Yutaka
  • 村上庄吾●写真 photo by Murakami Shogo

【梅崎、小林の好走に刺激を受けた石田】

梅崎は地道に努力を積み重ねてレースで結果を残してきた梅崎は地道に努力を積み重ねてレースで結果を残してきたこの記事に関連する写真を見る

――3年目の昨シーズンは、梅崎選手は着実に力をつける一方、石田選手は夏前に競技から離れた時期もあったとお聞きしました。

石田 チームメートに話すことはなかったんですけど、本来ならどんなに辛くても3年生として、箱根では役割を果たさなければと思っていたのですが、自分のなかで限界に感じてしまったんです。なので、今年はみんなに任せようと。

――梅崎選手は、石田選手が競技から一時期離れると聞いた時は?

梅崎 突然、知った感じだったので、そこまで苦しんでいたのかと。ただ、必ず帰ってくると思うので、その時はまずはゆっくりしてほしいと思いました。

石田 チームメートに話さないではなく、話すことができなかった。みんな必死にやっているのに、自分のそうした気持ちを言うことはできませんでした。

――気持ちの整理がついて、夏の終わりごろにチームに合流した時はスッキリしていましたか。

石田 いや、そうでもないですね。どんな顔をして戻ればいいんだろうという葛藤はありました。毎日、気持ちが変化していましたし、戻る前に(酒井俊幸)監督と何度か話しながら、自分で戻ってもいけるかなと思える段階で、ようやく戻った感じだったので。

――昨季の駅伝シーズンは浮き沈みが激しく、特に全日本大学駅伝は14位と酒井監督が指導して以降では2度目のシード落ち。非常にチーム状態が悪かったと思いますが、箱根駅伝では総合4位と復調。その時期はどのように箱根に向けて機運を上げたのでしょうか。

梅崎 チーム全体で信頼関係が築けていなくて、生活面でも甘くなっていった部分がありました。そういうのはレース後半で粘りきれないとか、実際にレースに出たりしていたと思います。

――酒井監督は常々、競技でよい成績を残すためにきちんとした日常生活を送ることの重要性を話していますが、そういう部分って選手としてもわかるものなのですね。

梅崎 やっぱり、わかります。

石田 これぐらいでいいだろう、という部分が目につくものです。自分は走っていない側なのであまり大きなことは言えないのですが、本来なら選手同士でそういう部分を指摘し合うべきところでもそのまま流してしまうような感じです。監督の言葉で言う生活における「絆」がなかった。そこを4年生中心に建て直して、箱根に向かっていった感じです。

――梅崎選手は箱根ではエースが集う2区を任され、区間6位。その後の区間での好走につながる走りでした。

梅崎 ちょうど箱根の1週間前の法大記録会で1万mの自己ベストを出して、調子が上がってきていることが実感できたので、(2区でも)いけるかなと思いました。そこで監督から2区で走ることを伝えられました。

――最後の戸塚の壁(約3km続く上り基調のコース)を含めて2区はどうでしたか?

梅崎 最後以外でもきつい箇所は多かったですけど、チームのために頑張りたいという一心で走りきりました。自分の走りがチームの総合順位にも大きく影響する自覚はありましたので。

――石田選手は梅崎選手の2区の走りをどのように捉えていましたか。

石田 自分は小林(亮太、3区区間6位)の給水のために移動しながら見たのですが、小林に給水する時もそうだったんですが、ふたりの走りを間近で見て、普通に感動したのではなく、涙が出るくらい感動しました。自分が長い期間、チームから離れていた時に、どれだけ頑張ってチームを支えていたのかも実感できましたし、そのふたりの走りを見たことで、今、最終学年こそ頑張ってみようと思わせてくれました。

梅崎 石田がそう思ってくれたのは、本当にうれしかったですね。走り終わったあとに石田から今言ったようなLINEももらって、走りきってよかったと。

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