【箱根駅伝・今昔の思い】城西大・櫛部静二監督 「早大三羽烏」の一角は理論派コーチ (3ページ目)
世界基準の視点で取り組む選手育成と駅伝強化
櫛部監督は卒業後、名門・エスビー食品で競技を続けたが、「ずっと走ってきて今のままでいいのか、強いチームゆえにここに居続けていいのかという思いがあった」と98年に退社。その後は競技者としてマラソンに出走しながら、指導者への道を模索し始めた。そして2001年に創部した城西大駅伝部のコーチに就任。2009年からは監督として指揮を執っているが、箱根駅伝には2004年の初出場以降、13年連続を含む計17回の出場で、総合6位の最高順位2回を含む5回のシード権獲得を果たしている。同時に、卒業後も継続して指導した選手が、2大会連続でオリンピック日本代表に名を連ねた。
――指導者の立場となり、箱根駅伝の見方は変わりましたか。
「指導者になってあらためて感じるのは、将来どんな選手になりたいか、そのためにどうすればいいか信念を持つべき、ということです。大学側は当然、箱根駅伝での結果を求めます。一方で、陸上の指導者としてはそれだけを目指していては行き詰まる。そこをうまく連動して考えるようになりました。箱根を含めた駅伝で結果を残さなければ、有望な高校生は来てくれませんし、選手を伸ばしていかなければ駅伝は強くならない。そうした事情から両立できるよう心がけながら指導にあたっています」
――入学してくる選手でも、それぞれ目標は異なると思いますが、その点は選手ごとにアプローチを変えている。
「私自身、特に監督になって以降は、将来的な競技生活を視野に入れている選手たちには、そういう(日本代表レベルの)未来像を想像してもらうことを心がけてきました。その一方で箱根駅伝に競技人生の全てを賭ける選手には、その目標が達成できるように接するようにしています」
――指導し始めた頃と現在では、選手の意識で変わってきている部分はありますか。
「今の選手はトレーニングに関する情報をよく集めていますね。一方で、間違った情報やいろいろ知りすぎて自分のやりたいものばかりに目が行きがちな部分もあります。その部分は私自身も新しい取り組みを学び、選手の指導に当たるようにしています」
――駅伝と個人競技の両立という面では、卒業後も指導をした選手を2大会連続でオリンピック代表に送り出しています(2016年リオ五輪の村山紘太/現・GMOインターネットG、東京五輪の3000m障害の山口浩勢/現・加藤学園高コーチ)。
「そうですね。村山は大学時代から日本選手権5000mで2位に入賞し、アジア大会にも出場していました。あと、ちょうど私が監督になった頃、高橋優太(ヱスビー食品⇒DeNA)が世界ジュニア選手権(現・U20世界選手権)やユニバーシアード(現・ワールドユニバーシティゲームズ)、日本インカレなどで好成績を残しながら駅伝でも活躍してくれたのはうれしかったですね」
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