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「だったら選ぶなよ」バルセロナ五輪でリレー代表に選出されるも本番で走れず 大森盛一は納得できず「予選落ちすればいい、と思っていた」 (2ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi

 五輪期間中は伊東と同部屋だったこともあり、いつも一緒に行動していた。

「伊東さん自身も走れないだろうと言っていました。僕もギリギリのラインにいたのと、年齢が一番下だったから話しやすかったんだと思います。メンバー発表が終わって、走る選手がアップを始めるタイミングで、伊東さんに『ふたりでどこかに行こう』と言われ、スタンドの選手席に行って競技が終わるまで見ていました。そこで、マイルリレーが予選で敗退するのを見て、『ほら、ダメじゃん』と言って帰りました。その時は正直、『予選落ちすればいい』と思っていましたし、応援する気はさらさらなかったのを覚えています」

 その一方で「地元の人たちに申し訳ない」という思いが強かったと振り返る。やはり五輪で日本代表に選ばれると他の大会とは状況が違っていたのだ。

「やっぱり五輪と世界陸上の違いってそこなんですよね。田舎になればなるほど、五輪と言うだけでそれこそ県を挙げて応援してくれる。僕は富山県出身だけど、代表に決まったら『とりあえず帰って来い』と言われて、帰ると高校時代の先生に連れられて、市の教育委員会や、県の教育委員会、県庁を回って挨拶をするというのが通例でした。

 そこまで応援してもらって、いざ五輪に行ったら走らないで帰ってくると地元に顔向けできないんです。田舎でポツンと、ひとりだけ出た五輪選手が活躍もしないで帰ってくれば、地元の人たちはガッカリしますから。理由もわからないまま走れずに日本に帰るというのは、親どころか『地元の人たちに申し訳ない』という気持ちでいっぱいでした」

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