青山華依がトレードマークのキュートな笑顔で疾走 大ケガを乗り越えてパリ五輪へ前進 (2ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi

 6月、チームメイトの応援で日本選手権の会場に姿を見せた青山は笑顔だった。10月の日本インカレの会場でもこれまでと変わらない笑顔で、走れないショックや、わだかまりのようなものは一切感じられなかった。余計なことを考えず、常に前を向き続ける彼女の性格がその笑顔から伝わってきた。

「痛くても頑張ったら走れるという体ではなく、もう完全に走れない体になってしまったので、それを受け入れて『じゃあ、できることをやるしかない』と考えました。パリ五輪まで、もう1年ちょっとしかないけど、そこに行きたいからそのために頑張ろうと思っていました。『前十字靱帯断裂の選手でも競技力は9割以上まで戻るし、逆に腱が強くなった人もいる』とお医者さんに言ってもらえたし、『もう一度基礎から練習できる』とも言われたので、『じゃあもっと上にいける。私は今まで基礎が弱かったから、そこを頑張ろう』と思えたんです」

 それとともに、この9カ月間は競技と向き合ううえで、ひと区切りになったと振り返る。

 青山は、2021年の大学入学直前に世界リレー代表選考トライアルで優勝して日本代表になり、世界リレーでは4位になって東京五輪出場権を獲得。そのあとの日本選手権100mでは8位ながらも、東京五輪本番で4継を走ることができた。そして、2022年4月の日本学生個人選手権では100m11秒47の自己ベストをマークし、順風満帆そのものだった。しかし、6月の日本選手権100mで5位になると、世界選手権の4継では補欠になってしまった。

「その時は少し『あぁ......』って(下がる)気持ちになりましたが、(今回ケガをして)一度度気持ち的に休憩できました。『また1からやるぞ!』っていう土台が作れたので、よかったかなと思います」

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