神野大地がMGCを振り返る 集大成となるはずが56位...「生きた心地がしなかった」 (3ページ目)

  • 佐藤俊●文 text by Sato Shu

【SNSでは「もう限界でしょ」と辛らつな声も】

 神野は5年前に都銀に勤めていた高木にマネジメントをお願いし、それからふたりでこの日まで一緒にやってきた。直前に走れなくなったことで、「なんで、ここで、と聖也さんは思うことがあったはず」と神野は言う。その思いを飲み込んで言葉を掛けてくれた高木の優しさに神野は、こみ上げてくるものをこらえ切れなかった。

 その後、中野に「ホテルに帰ってケアしようか」と言われ、神野は号泣した。

「僕とふたりとの深い関係性があり、僕に対してもいろんな感情があるなか、多くを語らない何気ない言葉からふたりの気持ちが伝わって来て、ずっと泣いていました」

 その後、神野を応援してくれた人達への報告会でも涙が止まらなかった。

「その時、自分の思いや言いたいことはすべて言えたと思います。そこにいた両親も『大地の気持ちが伝わってきたよ』と言ってくれました」

 MGC後、神野は実家に帰り、静養した。1週間前、出場可否で悩み、苦しみ、頬がこけるほど追い込まれた神野の表情は、すっかり穏やかになっていた。

 MGCまでの2年間は神野にとって、どんな時間だったのだろうか。

「うーん、正直、苦しかったですね......僕のタイムは2時間9分34秒で出場選手では下位の方ですけど、MGCは一発勝負のレースで何が起こるか分からない。自分にもチャンスがあると思い、『2番以内を目指す』と言ってきました。でも、同時にオリンピックに行けるだけの領域に達していない自分も理解していました。大学生の頃は、どんどん成長して、自分の可能性を越える結果が出たんですけど、マラソンはいきなり伸びるとかはない。自分が2位内を狙うということと、現実の自分のレベルのギャップをずっと感じていたのでしんどかった......」

 神野は青山学院大時代、「三代目・山の神」として人気を博し、その後プロランナーとなった。注目度は高かったが、反面アンチの声も多かった。実際、MGCが終わった後、「ダメだな」「もう限界でしょ」と辛らつな声がSNSで見られた。確かに結果は出なかったが、苦戦必至のレースに出て最後まで戦った。この日、沿道の多くの人に応援され、レース後の報告会には200人以上が神野を待っていた。

 いろんなスタイルのランナーがいていい――。

 結果を求めつつ、走ることの楽しさを伝える。神野がその先駆者になれば、活動の幅が広がることになるだろう。

「まだ、やめられないですよ。やっぱり悔しさがあるので」

 神野は、凜とした表情でそういった。

 MGCでは2位以内を達成できず、テールエンドに終わったが、「最後まで諦めない」という姿勢を貫いた。神野の今後の人生に活きる、価値のある56位だった。

PROFILE
神野大地(かみの・だいち)
プロマラソンランナー(所属契約セルソース)。1993年9月13日、愛知県津島市生まれ。中学入学と同時に本格的に陸上を始め、中京大中京高校から青山学院大学に進学。大学3年時に箱根駅伝5区で区間新記録を樹立し、「3代目山の神」と呼ばれる。大学卒業後はコニカミノルタに進んだのち、2018年5月にプロ転向。フルマラソンのベスト記録は2時間9分34秒(2021年防府読売マラソン)。身長165cm、体重46kg。

著者プロフィール

  • 佐藤 俊

    佐藤 俊 (さとう・しゅん)

    1963年北海道生まれ。青山学院大学経営学部卒業後、出版社を経て1993年にフリーランスに転向。現在は陸上(駅伝)、サッカー、卓球などさまざまなスポーツや、伝統芸能など幅広い分野を取材し、雑誌、WEB、新聞などに寄稿している。「宮本恒靖 学ぶ人」(文藝春秋)、「箱根0区を駆ける者たち」(幻冬舎)、「箱根奪取」(集英社)など著書多数。

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