神野大地がMGCを振り返る 集大成となるはずが56位...「生きた心地がしなかった」 (2ページ目)
【もう早く終わってくれ】
わずか1キロ地点で遅れ、25キロ過ぎには、右のハムストリングに猛烈な痛みを感じた。風雨が強まるなか、雨が目に入り、体が冷えた。1キロ、1キロという気持ちで前に進み、無心で走った。
「何度もやめようかなと思いました。でも、本当にやめようとは一度も思わなかったです。こうなるのは分かっていたし、途中でやめるぐらいなら最初から走らなければいい。何が何でもゴールまで行くぞという気持ちでした」
神野をそこまで駆り立てたのは、いったい何だったのか。
「今年1月に奥球磨ロードレースに出たんですけど、体調が悪くて先頭集団から遅れてゴールしたんです。そこで多くの人が写真とかサインくださいって僕を待っていてくれたんです。結果が出なくても自分の走りを楽しみにしてくれる人がいる。どんな状況でも最後まで諦めずにやり切る姿勢を見せるとか、僕に伝えられるものがあるんじゃないかってその時、思ったんです。もちろん、それに甘えることなく、結果を求めて、良い走りを見せていくのが大前提ですけど」
もうひとつは、神野の背中を押してくれた声だった。
この日は、神野が支援を受ける各スポンサー企業の職員、前日夜から大型バスで駆けつけた地元津島市の応援団、神野が主宰するRETO Running Clubのメンバーが各ポイントで組織立った応援をしていた。
「僕はひとりで走っていたので、応援の声は耳に入ってきました。でも、申し訳ない気持ちが大きかったです。こんな走りをしてしまったので応援してくれる人たちをどういう表情で見たらいいのか分からなかった。嬉しいけど、複雑で、いろんな葛藤があって、みんなを見られず、みんなの声に応えられず......。でも、本当にたくさんの応援のなか、走ることができて幸せでした。みんなの応援が自分を最後まで走らせてくれました」
神野は、雨に濡れたロードをひとりぼっちで走り続けた。レース前に「勝負所」と考えていた最後の坂を上り、下ると国立競技場が見えてきた。
「ホッとしました。MGCまでの1週間は生きた心地がしなかったし、すごく長く感じました。もう早く終わってくれって...。国立が見えた時は自分が目指してきた目標を達成できずに終わる。これでMGCのことだけを考えてきた生活が終わる。いろんな終わりが頭の中を駆け巡っていました」
ゴールすると、スタンドから暖かい拍手が送られた。
「やっと終わった」
いろんなものから解放された安堵感が広がり、控室に戻った。ハムストリングの痛みがひどく、自分の感情をどこかに置き忘れたように黙々とシューズを脱いだ。
「よく帰ってきたよ」
高木にそう言われた瞬間、張り詰めていた感情が揺り動かされ、涙が止まらなくなった。
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