「何でトライアルにピーキングを合わせなきゃいけないの?」髙橋萌木子がロンドン五輪直前に感じていた練習内容への不安と疑問 (3ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi

ロンドン五輪前の合宿では苦悩を抱えながら臨んでいた photo by Jun Tsukida/AFLO SPORTロンドン五輪前の合宿では苦悩を抱えながら臨んでいた photo by Jun Tsukida/AFLO SPORT「でもその時はもう、落ち込んでいましたね。みんなピリピリしていてチームとしては全然いい状況じゃなかったので、自分の走りの精度を高めるというよりはチームのバランスを整えようとすることで精一杯でした。だからトライアルの内容も覚えていないんですよね。ただ、私が4着で佐野さんと僅差だったことだけは覚えていて、『ああ、これで私は補欠になるんだろうな』とも思ったのは覚えています。

今思うと悪い意味で自分の感情をコントロールしてしまったんです。だから平成国際大の男子コーチの松田克彦先生が遠征先にきた時、『私、補欠に入ったほうがいいと思います』と言っていたみたいで、あとから松田先生に『あの時、萌木子は第一声でこう言ったんだよ。覚えてる?』と言われて、『そんなこと言っていたんですか』って驚きました。そこまで追い込まれていたんですね」

 だが最終的なメンバー発表はされていないのだから、自ら白旗をあげるわけには行かないと思っていた。

「ロンドンに入ってもなかなかメンバーの発表がなかったけど、私はリレーのキャプテンだから、みんなが『集中してやりたいからオーダーを聞きたい』と言われたらコーチに聞きに行ったりしていました。チーを除いたバトン練習の時には、トイレに篭って泣き出している子もいたり......。レース直前なのに『チームがまとまっていない』と上からは言われて混乱したけど、今までリレーチームを作り上げてきたという自分の責任感だけが気持ちを保つ支えになっていたと思います」

 結局、直前のメンバー発表では髙橋は補欠だった。「ああ、やっぱり」と思った髙橋は、ミーティングが終わったあとでひとり外に出て、大泣きをした。

「みんなに泣いているところは見せられないし、レース前にそんな心配はかけられないと思って外に出ました。すぐには帰れないから、トレーナールームに行って、ちょっと気持ちを落ちつかせてから、何事もなかったように部屋に戻りました。他の人たちも寄り添いにくかったと思うから、あまり同じ部屋にいないようにして、ハードルの木村文子ちゃんの部屋に行っていました」

後編「髙橋萌木子が『私の陸上を返してよ』と号泣したロンドン五輪」に続く>>

プロフィール
髙橋萌木子(たかはし ももこ)
1988年11月16日生まれ、埼玉県出身。
中学時代はソフトボール部に所属しながら陸上に取り組んでいたが、埼玉栄高等学校入学後、本格的に陸上を始める。100mではインターハイで高校3連覇を果たし、3年時の南部記念では11秒54の高校記録も更新。平成国際大学進学後も日本選手権で100m初優勝するなど、この頃からリレーの日本代表としても活躍し始めた。2009年には福島千里と共に200mで日本記録を出したが、2011年ごろからは不調に苦しんだ。2015年に所属先を富士通からワールドウイングに変えて練習を続けていたが、2020年9月に引退。現在はスポーツメンタルトレーナーとして選手たちを支えている。

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