髙橋萌木子が「私の陸上を返してよ」と号泣したロンドン五輪 リレーメンバーから本番直前に外され帰国後は「バトンが握れず走れなくなった」

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi

5人目のリレーメンバーが
見ていた景色 髙橋萌木子 編(後編)

2012年ロンドン五輪に現地入りをしてから、最後に4×100mのリレーメンバーから外れてしまった髙橋萌木子。レース当日の話とともに、その後の陸上との向き合いかたや、その苦悩が今の彼女にどんな影響をもたらしているのか語ってもらった。

当時の辛さを消すことはできなくても糧にしていると語った髙橋萌木子 photo by Nakamura Hiroyuki当時の辛さを消すことはできなくても糧にしていると語った髙橋萌木子 photo by Nakamura Hiroyuki◇◇◇

 リレーメンバー発表後からは心に蓋をして、リレーのキャプテンとしての務めを果たすために、自分がやるべきことをやるだけだと意識した。髙橋が出なかったレースは、4走が一度出てから止まってバトンを受けるような形になり予選1組で44秒25の8位で敗退。

「予選はトレーナーさんと一緒にスタンドから見ていたんですけど、みんなが走っているときも泣いていました。それで3走と4走のバトンパスがダメだったのを大きなモニターで見た時は、『なんで、私の陸上を返してよ』って言いながら、めちゃめちゃ泣いていました。『これだったら私がリレーに出るわ!』みたいな感情でしたね。そこで張り詰めていた気持ちはきれてしまったんですよね。帰国してからはそんな自分が嫌いになり、『何かを変えたい』と思った結果、髪の毛を金髪にしてみたりしました」

 少し休めば気持ちも元に戻るかと思ったが、そういうものではないことが、グラウンドに行って初めてわかった。

「いつもどおりに休んだんですが、グラウンドに入ったら自然と涙が出てきて、練習をしたいのに走れる状態ではなく『これは私、普通じゃないかも』と思いました。そのあとすぐに埼玉県の国体のリレー合宿があったんですが、バトンが握れなくて『これはおかしいぞ』って気づいたんです。

 それで『すみません、今日は私、走れないです』と言ったら、『どういうこと?』みたいになったけど、私自身も理解できてない状態だったんです。そのあとバトン合わせを何とかやろうと思っても、耐えられなくて走ることさえできなくなりました。同い年で400mハードルの子が、私がひとりで芝生のところで泣いていたら『モモちゃん大丈夫?』と声をかけてくれて、『今、走れないんだよね。今日走ったら多分もう一生走れない。引退する』と言ったら、『それはコーチに言ったほうがいいよ』と言われて正直にコーチに話し、出場辞退の申請をしました」

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