髙橋萌木子が「私の陸上を返してよ」と号泣したロンドン五輪 リレーメンバーから本番直前に外され帰国後は「バトンが握れず走れなくなった」 (4ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi

【ツラかった経験を今の仕事の糧にしている】

「今はフリーランスのスプリントコーチみたいな感じで、陸上だけではなく女子サッカーなどの他競技でも指導していて、メンタル的な要素も含んだコーチングのスタイルにしています。自分は何度も心が折れてしまった経験があって、心が折れている時は体も動かなくなる。そういう時には体だけ強化するのではなく、心も一緒に成長させていかないと結果が伴わないというのを強く感じたし、そういう選手をもう作りたくないという思いもあって、メンタルトレーナーの資格も取りました」

 陸上では国際陸連のコーチ教育認定システム(CECS)レベル1を取得し、U16のコーチ資格もある。

「チームと個人がコミュニケーションを取る時に、両者の一方通行ではなくチーム作りがしっかりできる納得解を提案できるような第三者的な存在になりたいと思っています。女子短距離チームにいて思ったことなので、そういうところで力になれたらいいなと思っています」

 あの経験をしてよかったかと言えばそうではないが、今の髙橋萌木子を作っていることも間違いない。

「ロンドン五輪で走れなかったことはいまだに自分のなかにしこりとして残っていますし、今でもそこに触れたら涙も出てきます。多分、同じ立場を経験した人も忘れられないだろうけど、あれがあるからこそ陸上界から離れないでいられたというか。本当は離れたかったかもしれないけど、自分の中で離れられない道を作ってくれた経験のひとつかもしれないと思います。それがなかったら潔く辞めていたかもしれないですね」

 こう話す髙橋は最後に、穏やかな笑みを浮かべた。

プロフィール
髙橋萌木子(たかはし ももこ)
1988年11月16日生まれ、埼玉県出身。
中学時代はソフトボール部に所属しながら陸上に取り組んでいたが、埼玉栄高等学校入学後、本格的に陸上を始める。100mではインターハイで高校3連覇を果たし、3年時の南部記念では11秒54の高校記録も更新。平成国際大学進学後も日本選手権の100mで初優勝するなど、この頃からリレーの日本代表としても活躍し始めた。2009年には福島千里と共に200mで日本記録を出したが、2011年ごろからは不調に苦しんだ。2015年に所属先を富士通からワールドウイングに変えて練習を続けていたが、2020年9月に引退。現在はスポーツメンタルトレーナーとして選手たちを支えている。

4 / 4

関連記事

キーワード

このページのトップに戻る