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シドニー五輪4×100mリレー決勝でまさかの出走 補欠だった小島茂之は「行くかもしれないと言われて本当にドキッとした」 (2ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by Nakamura Hiroyuki、Kyodo News

【一度外れたリレーで出番が回ってきた】

「(シドニー五輪では)個人種目の出場もすぐには決まらず、最終エントリーで『この3人で行きます』と発表され、僕は伊東さん、川畑さんとともに出場できました。でも結果は10秒59で1次予選敗退。100mが終わって4継は1走が川畑さんで2走は伊東さん。3走は末續で4走は朝原で行くと言われて。その時は僕が個人で結果を出せていなかったので、誰が見ても納得のオーダーだろうと思ったし、伊東さんと末續は200mで準決勝まで行っていたので当然かなと。

 伊東さんがみんなに『メダルを狙える』と言っていた4継だったので、外されたのは悔しかったけど、その時は個人で結果を出せなかった不甲斐なさもありました。ただ、リザーブは僕しかいなかったから、リレーまでの1週間でどれだけ調子を戻してチームの力になれるかと思っていたので、モチベーションも下がることはなかったです」

「まさか」で回ってきたシドニー五輪の4継リレーを振り返った「まさか」で回ってきたシドニー五輪の4継リレーを振り返った そんな小島に出番はやってきた。

予選は全体3番目のタイムで通過し、準決勝も全体5位の38秒31(日本タイ記録)で通過と、メダルが見えてくる結果を出していた日本。しかしそのレースで、1走の川畑が脚のけいれんを起こした。

「準決勝もタイムがよかったので『まさか』と思っていたけど、川畑さんがレース中に脚に違和感が出たことで、『行くかもしれない』と言われて。心の準備はしていたけど、言われた時は本当にドキッとしました」

 準決勝を終えた夜、翌日の決勝に向けて小島はこんなことを考えていた。

「(シドニー五輪)直前の9月のスーパー陸上でリレーをやった時に、ジャパンチームのオーダーが準決までの4人で、僕は早稲田大チームの1走を務めました。それは、セレクションの意味もあったと思います。なので、自分は1走で準備しなければいけないと思っていました」

 そう考えていたとおり、決勝では1走を走ることになった。

「最終的には、決勝前のウォーミングアップで川畑さんの脚の痛みが引かないということで、僕が行くことが決まりました。前日には、選手村で同室だった末續から『行くんだったら走ってくださいね』と軽い感じで言われていて、初めてのシニア大会のリレーがいきなり、責任の重い五輪の決勝だったので、何が何でも走らなきゃいけないと必死だったのは覚えています。めちゃくちゃ緊張したけど、走れなくて悔しい思いをしている川畑さんの分はもちろん、最終選考会まで競り合った選手たちの分もと思って必死で......。『とにかく、2走の伊東さんにバトンをつながなければ』ということだけ考え、夢中で走りました」

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