初マラソンで好走も停滞続き「MGCで最低のレースをしてしまった」安藤友香が10000mで東京五輪の舞台に立ったワケ (2ページ目)

  • 佐藤俊●文 text by Sato Shun
  • photo by 森田直樹/アフロスポーツ

【もっと走れるはず。なぜ勝てないのか。】

 注目された安藤は、初マラソンからわずか5か月後、ロンドンの舞台に立った。

「正直、ロンドンの世陸は来てほしくなかったですね。それくらい練習からよくなくて、本当にこれで走れるのかなって感じでした。結局、自分にプレッシャーをかけて自滅してしまったんです」

 2度目のマラソンは、思うような走りができず、17位に終わった。だが、世界を走れたことで得たものは非常に大きかった。

 安藤が驚き、勉強になったのは、海外選手のスタート前とレースでの切り替えだった。

「レース前、海外の選手は周囲の選手とお喋りして、すごくリラックスしているんです。でも、走り出したらビシッと切り替えて、すごいパフォーマンスを発揮する。それがすごく優雅というか、いいんですよ。私はレース前、集中みたいな感じでピリピリしていたのですが、海外選手の様子を見て、いかに自分の考え方が凝り固まっていたんだなと思いましたね(苦笑)」

 また、日本で経験したことがないようなペースの乱高下を経験した。

「ひどい時は、ジョグペースで、本当ですか?みたいなペースで走ったかと思うと、いきなり(1キロ)310秒まで上がったり、本当に細かい上げ下げがありました。海外レースはペースメーカーがつかないので、こういう感じなんだというのを身をもって知りましたね。日本の30キロまでペーサーがついて、そこからよーいドンみたいな、そんなきれいなレースは世界にはなくて、日本は普通じゃないんだ。五輪や世界で戦うには、そういうレースを多く経験して、攻略していかないといけないとすごく感じました」

 ロンドンでは多くの経験を得たが、調子はなかなか上向かなかった。

 東京五輪に向けての選考もスタートし、安藤は181月の大阪国際女子マラソンに出場、総合3位に入り、MGCの出場権を獲得した。

MGCは取れたんですけど、タイムもレース内容もダメで‥‥。最初のマラソンで2時間21分で走った自分がいるのに、なぜ勝てないんだろう。もっと走れるはずなのに。そんなことばかり考えて、その時の自分を受け入れることができず、こんなの私じゃない、過去の自分がすべてって思っていて‥‥。過去の自分に縛られていたので走っていてまったく楽しくなかったですね」

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