下田裕太「もう走れません。今年で陸上やめます」...ドン底状態からMGC出場権を勝ち取るまでに奮い立たせた恩師の言葉 (3ページ目)

  • 佐藤俊●文 text by Sato Shun
  • photo by 松尾/アフロスポーツ

【東京マラソンで自己記録を更新】

 MGCはテレビで先輩の橋本崚の活躍を見ていた。10月はGMOの山岸宏貴がドーハの世界陸上でマラソンを走る姿を見て、応援した。その頃、下田は風邪を引いて体調を崩した。11月の東日本実業団駅伝が迫る中、出場できるのは病み上がりの下田か、2週間後にマラソンを控えている近藤秀一の二択になった。最終的に下田が走ることになったが、駅伝レースの1週間前、1000m×5本を練習した際、まったく走れなかった。

「その時、泣きながら花田監督(勝彦・現早稲田大監督)に『もう走れません。今年で陸上やめます』って言いました。気持ちが落ちて、精神的にもボロボロでした」

 ドン底の下田を救ったのは、花田監督とフィジカルトレーナーの言葉だった。

 花田監督は「山岸も世陸を走る2年前、本当にやめるって言いに来たけど、その後マラソンで結果を出して、まだやりますって言って来た。お前も絶対に走れるから大丈夫。マラソンの能力はあるから、次のマラソンまで頑張れ」と言われた。フィジカルトレーナーからは「俺はプロサッカー選手になりたかったけど、怪我でなれなかった。下田はプロとして今、走れている。走ってお金を貰える恵まれた環境にいる中、自分から辞める必要はない。結果を残せずにやめろって言われた時にやめたらいい。それまでとことんやってみたらいい」と言われた。

 下田は、2人に「続けてみよう」と言われ、もう1回、自分を信じてみようと思った。引退を踏み止まり、自分の練習に集中した。

 その結果、20203月、東京マラソンで2時間0727秒(13 位)の自己ベストを更新した。

「大学1、2年まで描けていた成長曲線のズレをずっと感じていて、やめたいというところまでいったんですが、このレースでようやく成長曲線に戻った感じでした。ちょっと横道にズレつつも大学2年の時からいろいろ積み上げられてきたものを認識できて、また自分を信じてやろうという気持ちになったのはすごく大きかった」

3 / 4

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る