「補欠はもういい」マラソン大塚祥平が狙うパリ五輪。MGCでは「30キロ以降、どれだけペースを上げていけるか」
2024年パリ五輪のマラソン日本代表の座を狙う、箱根駅伝に出場した選手たちへのインタビュー。当時のエピソードやパリ五輪に向けての意気込み、"箱根"での経験が今の走り、人生にどう影響を与えているのかを聞いていく。
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パリ五輪を目指す、元・箱根駅伝の選手たち
~HAKONE to PARIS~
第9回・大塚祥平(駒澤大―九電工)後編
前編を読む>>青山学院大の台頭に「あそこまで一気に強くなるとは予想できなかった」。学生時代を振り返る
大塚祥平(九電工)は東京五輪のマラソン日本代表の補欠選手だったこの記事に関連する写真を見る
駒澤大で4度、箱根駅伝を走って卒業した大塚祥平が選んだ実業団チームは、九電工だった。チームの練習に参加したことがなく、選手ともコミュニケーションを取ったことがないなか、スカウトに情報を聞いて決めたという。
九州の名門チームだが、なぜ九電工だったのだろうか。
「大学2年の終わりに声をかけてもらって、話を聞いていくなかでなんとなく自分に合うなぁというのを感じていました。それに自分は実業団ではマラソンを一番に考えていたんですが、チームには前田和浩さんという何度も世界選手権に出て結果を残している選手がいたんです。そのノウハウを得たいなと思ったのが大きいですね」
九電工は、選手個々が練習メニューを考え、競技に集中するプロ型の実業団ではない。週5日勤務をし、そのうち2日は昼に終わり、その時はポイント練習が入ることが多い。残りの3日は午後3時頃に仕事が終わり、それから練習を始める。土曜日も練習を行ない、日曜日はレースがない時はオフになる。練習は、基本的に全選手が同じメニューをこなすようになっている。ただ、マラソンのレースを走る時のみ、独自に調整していく。大塚は、九電工に入社してからすぐにマラソンの練習に取り組み、入社して10か月後、別府大分マラソン(別大)に出場した。
「1年目からマラソンに取り組んだのですが、ペースを考えた時、東京マラソンだとキロ3分ぐらいのペースで進むので、それよりもまずは2時間10分ぐらいを目標にしていこうということで別大に決めました。3位になり、タイムも2時間10分12秒で最初のレースよりも5分縮められたので自信になったというか、手応えを感じたレースになりました」
その後、大塚は夏の北海道マラソンで日本人3位となり、MGC(マラソングランドチャンピオンシップ)出場権を獲得した。2019年のMGCは9月の開催で、残暑が厳しい季節だった。そのために冬のマラソンにはない、さまざまな取り組みを行ない、準備した。
「夏のマラソンということで、それまでやったことがないことをやりました。まず、暑熱対策を取り入れながら高地トレーニングを行ないました。暑さに順化させるためにわざと熱くした部屋でトレッドミルで走ったり、給水もバナナジュースみたいなものにしたり、失敗してもいいやぐらいの感覚で思ったことをやってみたんです。そうしたなか練習はすべて消化することができたので、MGCのスタートに立った時は不安な要素は何もなく、自信を持って臨むことができました」
MGCの本番、大塚は第2集団に入り、冷静に前を追った。39キロで橋本崚(GMOインターネットグループ)がペースを上げて仕掛けると、中村匠吾(富士通)がスパートし、服部勇馬(トヨタ)、大迫傑(ナイキ)がついていった。大塚は、橋本をとらえるも3人にはついていけなかった。
「僕は3人のうしろにいたんですが、その時から順位は4、5番ぐらいかなって思っていました。たぶん、レース前から勝つという意識があまりなかったんです。自分はチャレンジャーで、どこまで自分の力が通用するのかというところに重きを置いていたので、39キロで動きがあっても焦ることなく、自分のレースをしようと思っていました。だからなのか、前を行く3人をすごく冷静に見ていて......なんか視聴者目線と言いますか、誰が勝つんだろうって感じで見ていました。ゴールしたら誰が勝ったのか、すぐに聞いたんです。(駒澤大の先輩である)中村さんと聞いた時は、すごくうれしかったですね」
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