箱根駅伝でエース区間を走った湯澤舜は初マラソン時に痛感。「大学でやってきたことだけじゃ無理だな」
パリ五輪を目指す、元・箱根駅伝の選手たち
~HAKONE to PARIS~
第7回・湯澤舜(東海大―SGホールディングス)後編
前編はこちら>>箱根駅伝で「2区でいくと言われてもうれしくなかった」
2024年パリ五輪のマラソン日本代表の座を狙う、箱根駅伝に出場した選手たちへのインタビュー。当時のエピソードやパリ五輪に向けての意気込み、"箱根"での経験が今の走り、人生にどう影響を与えているのかを聞いていく。
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2022年の東京マラソンで日本人3位。MGCの出場権を獲得した湯澤舜この記事に関連する写真を見る
東海大で箱根駅伝初優勝に貢献し、有終の美を飾った湯澤舜が、実業団入りを考えたのは、大学3年生になってからだった。まだ、箱根を走れていないなか、陸上で悔いだけは残したくなかった。大学での残りの時間を陸上に集中するには、就職活動をしている余裕はない。3年の夏にSGホールディングスの合宿に参加し、自主性を重んじ、恵まれた練習環境に、「ここなら自分の力を伸ばせる」と思った。その後、入社を決め、マラソンで勝負することを決めていたという。
「自分はロードが好きだし、地道に努力するタイプなので、マラソン向きだと思っていました。大学でも距離は踏んでいて、月平均で750キロ、夏合宿では1000キロ以上走っていました。月間の走行距離は部内で必ずトップ3に入っていたと思います」
チーム内が箱根での優勝の余韻に浸るなか、湯澤は2月の熊日30キロロードレースと3月の東京マラソンに向けて始動した。マラソンに向けての練習は決して十分ではなかったが、大学4年間で培ってきた力がどこまで通用するのか。実業団でいいスタートをきるためにも自分の現状を把握したかった。
「東京マラソンは、スタートからしびれました(苦笑)。自分は準エリートだったので、スタート30分前にスタート地点に移動したんです。でも、その日は大雨でめちゃくちゃ寒くて、アップもできず、ただ立って待っているだけ。スタートして10キロ走ってようやく走れるようになった感じで、これはダメだと思いました。結局初フルマラソンは2時間20分ぐらいかかってしまい、この日のレースはあまり参考にならなかったですね。ただ、大学でやってきたことだけじゃ無理だなというのは実感しました」
後半の失速対策に自重トレーニング
それから3年後、同じ東京マラソンで湯澤は2時間7分31秒で自己ベストを出し、日本人3位となって2023年秋に開催されるMGC(マラソングランドチャンピオンシップ)の出場権を獲得した。それは、2021年のびわ湖毎日マラソンで2時間4分56秒の日本記録を出した鈴木健吾(富士通)の走りを見て刺激を受け、コツコツと取り組んできた成果だった。
「自分は、実業団に入って後半粘れるところは一段階上げられたんですが、びわ湖での健吾さんの走りを見ているとそれだけじゃ足りないと思ったんです。記録と結果を出すためには、後半のペースアップが大きな課題でした。やっぱり35キロ付近から、みんなペースを維持するか、ちょっと落ちていく感じなので、なかなか上げられる人がいないんです。でも、そういう選手にならないと日本のトップを争うレースや世界の舞台では戦えないと思いました」
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