箱根駅伝でエース区間を走った湯澤舜は初マラソン時に痛感。「大学でやってきたことだけじゃ無理だな」 (3ページ目)

  • 佐藤俊●文 text by Sato Shun
  • photo by 共同

大迫傑さんのように安定した結果を

 今夏、湯澤は北海道マラソンを走った。コースは、昨年の東京五輪のマラソンコースをベースに、デザインされたものだった。今回は結果こそ出なかったが、湯澤は1年前、東京五輪のレースを見て、決意を新たにしたことがあった。

「東京五輪のマラソンで大迫(傑・ナイキ)さんを見て感じたのは、どのレースも安定して結果を出しているすごさです。やっぱり、どんなレースでも最低限の結果を出せるようにやっていかないと、大事なレースで自分の能力を発揮することができない。大迫さんは、マラソンでの安定感はすごい。自分もそういうところが必要だと思いましたし、東京五輪のレースを見て自分も五輪で走りたい。パリ五輪に出るという目標が明確になりました」

 それ以降、大きなレースで勝つために、自分なりの強化に取り組んでいる。月間走行距離は毎月1000キロを超えており、来年のMGCに向けて、やれることは全部こなしていく予定だ。

「前回のMGCは、テレビで見ていました。設楽(悠太・Honda)選手がいきなり前に出ていきましたが、次はもっと堅いレースになるんじゃないかなと思います。みんな勝ちたいと思う気持ちが強いので、お互いに牽制するところが絶対に出てくると思うんです。そういう時、ムダな動きをしないのが大事なことかなと。自分の勝負どころをしっかりと見定めたうえで、そこで決めることができなければダメですね。まずはムダな動きをせず、35キロぐらいまで粘って、そこから勝負していければと思っています」

 少し高揚した声から湯澤のやる気や本気度が伝わってくる。MGCの先にあるパリ五輪は、どういう位置づけになるのだろうか。

「五輪は、目指すべきところです。自分は2024年パリ五輪と2028年ロス五輪を狙っていますが、やっぱりパリを走りたいですね。今は、確実にパリに近づいているのを感じられているので、それが実現できるように1年やりきって、MGCに臨みたいと思います」

 東海大時代も故障や後輩の突き上げなどで焦ることはあったが、努力を積み重ね、4年間でそれを芯として大きな花を咲かせた。今も自分らしく、同じやり方でコツコツと練習を重ね、力を蓄えている。勝つ可能性は誰にでもあるが、敗れる可能性が低いのは、湯澤のような選手なのだろう。爆走はないが大崩れもない。耐えるマラソンは、湯澤の真骨頂だが、練習で培ってきた後半にペースアップするレース展開で勝負できれば憧れのパリの地が見えてくるはずだ。

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