「暑さに弱い」「駅伝は強いけどトラックは...」ずっと悔しい思いをしてきた廣中璃梨佳は積極的な走りでそれらの声を封じた (2ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by Yohei Osada/AFLO SPORT

 ただ、5000m、1万mともに序盤は先頭に出て集団を引っ張る走りをしていた。

「悔いなく走るというのが(今後の)自分の走りにつながると思ったので、初めての五輪であっても怖がらずにいってよかったです」

 廣中と言えば、駅伝では最初からガンガン行くスタイルが特徴的。しかし、トラックではなかなかそういう走りができなかったと振り返る。

「駅伝はタスキをつけるだけで『1人で走っているんじゃない』という感覚になり、1秒でも早くタスキを渡したいという思いから、最後にきつくなってきても気持ちで押して、『突っ走るしかない』という気持ちになれるんです。でも、トラックだと構えてしまう部分があって、目立った結果を出せていませんでした。インターハイでも4位が最高で『暑さに弱い』と言われたり、『駅伝は強いけどトラックはそうでもない』と言われていたのが、ずっと悔しくて、いつか見返したいと思っていました」

 トラックの走りが変わったきっかけのひとつが、昨年12月の日本選手権5000mでの苦い経験だった。なかなか思いきっていけないなか、ラストで田中に突き放されて2位になり、その時点での東京五輪代表内定を逃してしまった。

「自分はまだまだ弱い」と実感し、最初から積極的にいくことができれば、最後に抜かれて敗れても、悔いが残らないレースになるのではないかと考えた。それが今年5月の1万m日本選手権優勝や、6月の日本選手権5000m優勝での五輪代表内定につながったのだ。

 ただ、駅伝に関しても最初から積極的に走れていたわけではないという。

「きっかけは、中学3年の中学駅伝の県大会でした。優勝して全国大会出場を狙っていたけど、競り合っていた学校に13秒差で負けて全国大会を逃してしまったんです。1区でライバル校の全国中学やジュニアオリンピックに一緒に出ていた子と走って、4秒差で勝ったけれど、チームは負けてしまい、悔しさが残りました。その3週間後の九州大会では、その学校に勝ちたいという思いから、1区で攻めの走りができて、最終的にはチームが1秒差で勝ちました。あの時の悔しさが今の自分につながっていると思います」

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