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箱根駅伝の名勝負。抜きつ抜かれつ「紫紺対決」の戦略合戦はすごかった (3ページ目)

  • 折山淑美●文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by Kyodo News

 8区は、ハイペースで入った平川良樹(2年)のペースが中盤から落ち、前回この区間で逆転のお膳立てをした順大の奥田真一郎(2年)に詰められる場面もあったが、それでも9区と10区に主力を置いた布陣が駒澤大を救った。

 大八木コーチから1時間10分台の設定を指示されていた9区の西田は、1時間9分00秒の区間新で優勝を決定づけた。さらに10区の高橋正仁(2年)もその勢いを引き継ぎ、区間新の1時間10分26秒で走り、9区で2位に上げてきた順大に4分18秒差をつけて、復路も制する完全優勝で初制覇に花を添えた。復路が強い順大に対し、さらにその上をいく復路勝負を考え、1年生を大胆に起用した大八木コーチの作戦勝利だった。
 
 翌年の2001年の対決はさらに熾烈になったが、互いに誤算もあった上での競り合いだった。

 前評判が高かったのは出雲と全日本を制していた順大。岩水と入船、野口、奥田、坂井隆則の3年生クインテットが充実し、エースの高橋謙介(4年)も全日本では最長区間の8区で区間賞獲得と好調だった。さらに9月の全日本インカレでは男子総合優勝を果たし、箱根で勝てば4冠と、これまで他大学が成し得なかったことにチャレンジできると、選手たちの気持ちも盛り上がっていた。

 だが、その意気込みがオーバーワークにつながってしまった。11月後半に岩水が肺気胸で10日間の安静から始まり、主力選手たちの体調不良とケガが相次いだ。

 全員が順調なら往路から突っ走る優勝もあると考えられていた2001年の箱根だったが、沢木啓祐監督は勝てる目算を5割と考えていた。

 本番まであと数日と迫った12月27日、チーム状況を考えた奥田が、「僕が5区の上りをやります」と立候補。それを受けて、沢木監督は「奥田が頑張って往路を締めてくれれば、9区には12月中旬から調子を上げてきた高橋(謙介)がいるから何とかなる」と考えた。

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